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小説的雑文 「いぬの哭き声」

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そしてわたしはもう1つのミステリーを綴るのだ。
これが今年最後のブログ更新となる。

先週は忘年会が2度あったため、わたしにしては珍しく二度飲めない酒を飲んだ。
予定外の3度目は、予定外の相手からクリスマスイヴの前日に連絡が入った。

同窓生だった。
東京を出て名古屋に行ったという話は聞いていたが
10年近く賀状のやりとりしかしてこなかった男だ。
それが突然連絡してきて、会いたいという。

きっかけはわたしが転居通知に、秋から始めたブログのことを知らせため。
以来、ヤツはときどきわたしのブログを見ていたらしい。

クリスマスに合せて、わたしはブログでちょっとしたクイズ企画を催した。
参加者には非公開コメントで解答を募った。
その中に紛れるように、ヤツからのコメントがあった。

「会わないか?」

最初のコメントは一言そう書かれていた。
わたしが返事を躊躇していると、今度は「会えないか?」というコメントが書き込まれた。

会うことにした。
場所は彼が用意した日本料理屋。個室だった。
たまたま空いていたとは思えないから予約してあったのだろう。

昔話に花が咲くほど我々が共有している想い出は多くなかった。
懐かしい話はそこそこに、彼はわたしの近況をあれこれ尋ねてきた。

ふとおもむろに彼が携帯を取り出し、わたしに一通のメールを見せた。

件名【111111111】

受信メールの一覧には、数字の「1」が並んだ件名が残っている。
送り主は「chihiro」という名前だった。

「別れた女房」と彼が言った。

妻から届いたメールは全て消したが、この数字の1だけはなぜか消せずにいるのだという。
メールは離婚後、数ヶ月してから届いた。件名のみで本文のない携帯メール。

「返信したのか?」
「…いやできなかった」
「そうか」
「なぁ、1の羅列にどんな意味があったと思う?」
「さぁ」とわたしは言った。

たぶん彼は最初からわたしの答えなんか期待してやいなかったのだろう。
続く彼の言葉は独り言のように聴こえた。

あるいは数字には意味なんか無かったのかもしれない。
返信メールを送るなりして、意味を尋ねればすむことだったが、俺はそれをしなかった。

なぜ、そんな話をわたしにしたかは分からないが、
頭の中でまったく別なことを思い出していた。
わたしの中にも記憶に残る文字の羅列があったのだ。


「んんん」


黒板に大きく書かれた文字は3文字とも「ん」だった。

私は小学校四年生で終業式を間近に控え、埼玉から東京に引っ越すことになっていた。
たまたまその時期、同じクラスにもうひとり他県へ転校する子がいた。
黒板の文字を見たのは、わたし達二人の転校生に対し、ホームルームでお別れ会を開いてもらった日の放課後だった。
忘れ物を取りに帰った私が教室に戻ると、ちょうど教室から出ていくひとりの生徒と擦れ違った。
私の顔を見ると、彼女は逃げるように走り去った。
それがもう一人の転校生だった。

カンダマチコ。

それが彼女の名前である。漢字は忘れてしまった。最初から憶えていなかったのかもしれない。
マチコはとても美しい顔立ちをした少女だった。
真っ白な肌。漆黒の髪。髪はいつも眉毛のきっちり2ミリ上で切り揃えられていた。
思い出される彼女の顔はいつも笑顔で、しかしそのくせそれが幸せそうに見えたことは一度もなかった。
自信の無さげな貧しい笑い顔であった。
実は当人は少しも嬉しくも楽しくもないんじゃなかろうか?と疑問すら持たせる笑顔だった。
あれは算数の時間。黒板には「X:6=8:12」という例題が書かれていた。
教師に指名されたマチコは、前に出て黒板に向かったものの、チョークを持ったまま全く手を動こうとしない。
教師が意地悪く言う。
「おい、さっきちゃんと説明したじゃないか!たすき掛けにして掛け合わせてみるんだ。まずは「6×8」」
それでも彼女は動けなかった。
「6×8だ。ロクハはいくつだ?」
振り返ったマチコは「へへへ」と照れ笑いを浮かべると、肩をすぼめた。
彼女は小学校四年生にもなって九九を覚えていなかったのだ。

九九のできない彼女は、他の例えば体育や音楽でも特に目立った活躍を見せることはなかった。
字も汚かった。
彼女と隣の席に並んで座っていたことがあった。そのとき横目で彼女のノートを覗いたら、まるで毛虫がのたうち廻っているような筆跡だった。
当時の私にはこうしたことがとても理不尽に思えてならなかった。
こんなに美しい少女が、九九もできなかったり、字が巧く書けないことが、「間違っていること」のような気がしたのだ。


「んんん」は黒板いっぱいに大きな字で書かれていた。
マチコが書き残したという根拠はない。
だがその筆跡に見覚えがあった。
あれはマチコの字だ。

実はその後の人生で、私はこのときの話を何度か酒の肴にしている。
どこにでもこの手の話が好きなやつというのがいる。ちょっとしたミステリー問答となった。

「きっと文字が「ん」であったことがポイントなんだよ。「ん」から始まる日本語は無いだろ。つまり「ん」は全ての終わりを意味する。あの三文字は彼女のお別れのメッセージだったんじゃないか?」

「んんんはモールス信号みたくSOSの意味じゃないかしら。だって彼女イジメに遭っていたんでしょ?」

様々な臆説が飛び交った。変わったところでは、あれは「ん」ではなく、アルファベットの「h」だという珍説を唱えたものもいたが、だとしたらトリプルエイチがどういう意味だったかという別な謎が残るだけだ。
実際にあの3文字を目撃した私は、あれが「ん」であったことを知っていたし、それがなぜ「ん」だったかも分かっていた…たぶん。
そしてそのことについては、酒の場ではもちろんこれまで誰にも話したことはない。
だからこれは答えのないインチキミステリークイズなのだ。

担任教師の産休でその初老の女教師がわたし達のクラスに来たのは、確か四年生の二学期に入ってからのことだった。
体育と図工、音楽以外は全てその臨時教師が受け持った。
それは新しい教師に代わってから最初の書道の授業でのことだった。
その日の習作はちょっと変わったな課題が与えられた。

「皆さん、自分の名前を平仮名で書いて見ましょう」

小学四年生が書道の授業で平仮名を書かされるなんて、みんな内心そう思っていたのではないか?
私の隣では例によって、マチコが毛虫がのたうち廻ったような字を書いている。
臨時教師は教室をゆっくり歩き回りながら、生徒たちの作品を眺めていく。
そして教師は私達の横に来たとき静かに言った。
「ワダ君は「わ」の字が上手ですね。カンダさん、貴方は「ん」の字が実に素晴らしいです」

教師はそう言って去っていた。
私は改めて自分の「わ」の字を見て、ついでマチコの書いた作品を見た。やはり毛虫がのたうち廻った字であったが、その中で「ん」一文字をとって見ると、それは確かに堂々とした文字に見えたから不思議である。

教室を何周かした教師は、教壇に立つと順番に生徒の名前を呼び始めた。

「タナカマサアキくん。黒板に「あ」の字を書いて。場所はここ。そう右上から」
「次、オオタイクコさん。貴方はその下に「い」の字を書いて下さい」
そうして一人づつ呼び出しては、黒板に一文字づつ書かせてゆく。
黒板の五十音は残すところ「ワ行」だけとなった。
「ワダくん。君の得意な「わ」の字を書いてみてください」
教師は私の書いた「わ」の字の下に自ら「を」の字を書いた。
そして最後に指名されたのがカンダマチコだった。
「カンダさん。最後です。貴方の素晴らしい「ん」の字を前に出て黒板に書いて下さい」
マチコは「へへへ」と笑って、「ん」の字を黒板に書いた。
彼女が前に出て、実際にチョークで黒板に字を書くのを見るのはそれが初めてだった。
完成した五十音は、字の大きさがまちまちだったり、行や列が曲がっていたりして、全体としてはイビツな五十音だった。
だが、臨時教師は言った。

「これが私達日本人の字です。皆さん、どうぞ平仮名を大事に書いてください」
教師は「上手に」ではなく「大事に」と言った。隣の席のマチコを見たら、彼女は「ん」の字ばかり繰り返し書いていた。

あの日の放課後、私はマチコが残していった3つの大きな「ん」の字をしばらくの間眺めていた。
ほんの数秒前まで、彼女はこの教室でひとり黒板に「ん」の字を書いていたはずだ。
何だか大切なものを逃したような気分になっていた。
わたしはマチコが書いた「ん」の字の上に負けじと大きな字で「わ」と書いた。「わわわ」と3つ続けて思いっきりよくチョークを走らせた。
黒板の文字は「わんわんわん」になった。
だから翌朝、登校した生徒たちが目撃したものは、謎の「犬の哭き声」であったはずである。
それが私とマチコ、ワ行の二人の競作だったと気づいた者はどれだけいただろう?


そして日本料理屋の畳の上。
湯気の匂い。
わたしの知らない銘柄の外国煙草を吸う男。

この男はなぜ、わたしを呼んだのだろう?
彼の別れた妻はなぜ、意味不明の数字をメールを送ったのだろう?
マチコはなぜ黒板に「ん」の字を書いたのだろう?
わたしはなぜ「わ」の字を足したのだろう?

答えなんか必要としない謎がある。

【存在証明】

わたしは頭の中に浮かんだ言葉を、この日口にするこはなかった。

「俺もブログ始めようかな」
別れ際に同窓生はそう言った。

「いろいろ教えてくれよ」
「教えるほど、いろいろないんだけどな」
「…なぁ、ときどき自分がカラッポだって感じることはないか?」
「…よくあるよ」
「そういうときはどうする?」
「旅にでる。と言っても週末の2日間だけどな」
「で、どうなる?」
「カラッポじゃなくなる。…オレの場合な」
「今度、俺を連れてけよ」
「じゃあ、クイズを解けよ!プラン練ってやるから」
「地下だろ」
「即答だね。知ってたの?」
「論理的に考えたらそれしかないだろ?」

わたしは何だかとても愉快な気分になっていた。
酒が入っていたせいか、一度笑い始めたら止まらなくなった。
可笑しくておかしくてしょうがない。
思い出していた。
彼がかつてトモダチだったことを。
そしていまも…。

わたしにつられたかのように、彼も笑い出す。

それが聖夜の存在証明だった。

【完】

※フィクションです。
ポーランドへ行ってきます。
来年もよろしく。



チャオ!
by tabijitaku | 2005-12-29 00:03 | ショートストーリー


中庭、それは外。でも内側


by tabijitaku

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