紅茶一杯
紅茶一杯、透明な急須に葉を入れて飲むことのできる朝は、いつもと違う一日の始まりを予感させる。
約束は夕方の6時半だった。
わたしは朝一番で待ち合わせの確認のために電話を入れた。
湯を沸かし紅茶を入れ、朝食の準備をする。
普段はTパックで済ます紅茶だが、この日はポットを使った。紅茶の葉っぱは貰いもので、缶にはSTASSENと書かれていた。
朝食の後、洗濯機を回してベッドシーツを洗う。シャワーを浴び、Tシャツと半ズボンに着替えると全ての部屋に掃除機をかけ、エアコンのフィルターを掃除し、フローリングの床を雑巾がけし、コンロの油汚れを取り、シンクの水あかを磨いて落とした。電子レンジの中を苦労しながら掃除して、東京タワーの模型の埃を取った。
ベッドの下やソファの下など普段は掃除機をかけない場所にも何度も掃除機をかけたら、もう午後2時を回っていた。
もう一度、シャワーを浴びてから散髪に向かう。
店員に鏡を見せられたとき、「もう少し短くして下さい」と言った。
スーパーに行き買い物かごを持って店を一周した後、何も買わずにカゴを置き、隣のパン屋に行ってパンを買う。
パンを食べながら、この日二度目の紅茶を飲む。
6時前に家を出て近所の文化センターへ向かう。
貰ったチケットはかなりいい席だった。
開演10分前に隣の席に父が座った。
わたしは生まれて初めて生で落語を聴いた。
終演後、父を車で家に送り届ける。
「寄らないか?」と言われたが、「明日早いから」と言って玄関先で別れた。
家に帰り、録画しておいたNHKのドラマを観ながら、買ってきた祝儀袋にピン札を5枚包む。
明日は会社のスタッフの結婚式。
社長とわたしと営業課長の3名が出席する。
タキシードを着て電車に乗りたくはないので、申し訳ないが営業課長に朝、車で迎えに来てもらうことになっている。彼はアルコールは飲まないので。
落語を聴いた後、実家へ向かう車の中で父はこんな話をしてくれた。
結婚して1、2年の頃、お母さんとものすごい喧嘩をしたことある。
原因はカレーだった。お父さんが「このカレーは甘すぎないか?」と一度言ったら、お母さんがその次の日に、大激辛カレーを作ったんでお父さんが怒ったんだ。
夫婦ってのは全く違う人生を送ってきたモン同士が一緒に暮らすわけだから、こんなふうにカレーの辛さ1つとっても揉める原因になる。
でもそういうことを繰り返しながら、夫婦になってゆく。
お父さんはこの話を何度か結婚式のスピーチでしたことがあるよ。
スピーチの“オチ”は「我が家のカレーは今では中辛です」だと言う。
明日、人生の華の門出を迎える夫婦がいる一方で、わたしの週末の土曜日はこんな感じでもうすぐ終わる。
時が過ぎて、わたしはこの何でもないふつうの土曜日を思い出すことがあるだろうか?
家中を掃除して、散髪して、父と初めて落語に行き、カレーのスピーチを聞いたこの土曜日が、一杯のSTASSENの紅茶から始まったことを思い出すことがあるんだろうか?
【306/1973】
by tabijitaku
| 2008-04-19 23:37
| 私が私であるための1973枚