カテゴリ:ショートストーリー( 5 )

【ショートストーリー】砂の音

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その店では紅茶を頼むと、ティーセットと一緒に青い砂の砂時計が運ばれてくる。
「砂が全部落ちた頃が飲み頃ですよ」
店の女主人が言葉を添える。

彼は巨大な砂時計を想像していた。
それは給水タンクを縦に二つ重ねたようなビッグサイズだった。
上のタンクには砂漠のような砂があって、その中央に蟻地獄の罠のような小さな穴があいている。
穴はいまは小さいけれど確実に拡がってゆく。
こんなふうに時間の尺度を貰えたら、待つのも楽かもしれない、彼はそう思った。

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「紅茶をおいしく飲むコツは紅茶の言葉をよく聞くことです」
女主人が優しく話しかけた。

「紅茶の言葉?」
「待っていてね、という紅茶の気持ちです」
「…相手がもしそう言ってくれなかったら?」
「そういうときは砂の音を聴くのです」
「砂の音?」
「人生は確実に歳をとります。耳をすませば、貴方にも砂の落ちる音が聴こえるはずです」
「でも僕にはムリだ」
「あら、どうして?」
「生来、ひとを待てないタチなんですよ」
「待てなかった自分を後悔する時間は、もしかしたら待ち時間より長くなるかもしれませんよ」

彼は紅茶をお代わりする。
やがてテーブルには新しいポットと新しいカップが運ばれてきた。
そしてテーブルに置かれた砂時計逆さにすると、女主人はこう言った。
「砂が全部落ちた頃が飲み頃です」

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by tabijitaku | 2009-03-22 07:51 | ショートストーリー

【ショートストーリー】ブランコの下で

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金曜日。
この街に珍しく雪が降りました。たくさんの「雪たち」が空から地上にお引っ越しです。
そびえ立つビル街に、いちょう並木の大通りに、学校の校庭に、そして青空公園にも。
青空公園はたくさんの遊具と原っぱと雑木林がある公園です。雪は公園の原っぱをバニラアイスクリームの丘に変えてしまいました。

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土曜日。
雪はもう止んでいました。青空公園には、雪遊びをするために、たくさんの人たちが訪れています。雪だるまを作ったり、丘からソリ滑りをしたり。雪が積もると、公園の遊具たちはヒマになります。誰もすべり台では滑りません。砂場の砂で遊びません。ブランコの椅子の上には雪が積もったままです。
「彼」はそのブランコの下にいました。
「彼」は雪です。
金曜の晩に降った雪のひとかけらです。

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月曜日。
雪解けの公園は地面がぬかるんでいます。
けれども、「彼」はまだそこにいました。ブランコの日陰で「彼」は溶けずに残っています。
ふと「彼」は誰かとお喋りしたくなりました。
でもブランコの周りは溶け始めた雪で地面がビチャビチャ。誰も近づこうとしません。
「彼」はおとなりの雪に声をかけてみようと思いました。
「やぁ、ボクは先週空から降ってきたんだ」
「こんにちは。アタシはあなたが空から降ってくるのをずっと見ていたわ」
「キミはまだ真っ白だね」
「アナタもまだ白いわよ」
「キミはきれいな形をしている」
「ありがとう」
「ねぇ、キミの名前を教えてよ」
「名前?アタシには名前なんてないわ。アナタには名前があるの?」
「うん、ボクは雪だよ」
「おかしいわ。それはアナタだけの名前ではないでしょ」
「どうして?」
「だってアタシが名前を呼んだら公園中の雪が返事をしちゃうわ」
「そうか…じゃあボクには名前がないのか」
「…じゃあ、こうしましょう。アタシがアナタの名前をつけてあげる」
「ホント?ねぇ、ボクの名前はなに?」
「うーん、じゃあ、あなたの名前はヒダリよ」
「ヒダリ?」
「そう、アナタはアタシの左側にいるから」
「じゃあ、キミの名前も決まりだね」
「わかった。アタシの名前はミギね」
「うん。いつもボクの右側にいるからさ」

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水曜日。
公園に雪たちの姿はもうほとんどありません。けれどもヒダリとミギは、まだブランコの下にいます。

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木曜日。
にわか雨が降って、残っていたわずかな雪の欠片たちは、ますます小さくなりました。
ヒダリはちょっと心配になってきました。
「ねぇ、ミギ。ボクらももうすぐ消えてなくなってしまうの?」
「雪は解けて水に変わるのよ。消えたりしないわ」
「水になってどうなるの?」
「水はやがて空気となって空に帰るの」
「え、空に帰れるの?」
「ええ、帰れるわよ」
「じゃあ今度はミギと一緒にお空に引っ越しだね」
「…アタシはきっとムリよ」
「どうして?」
ヒダリがいくら尋ねてもミギは黙っていました。

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金曜日。
一週間たちました。青空公園はもう元の姿です。公園の遊具に子どもたちが戻ってきました。ブランコでも子どもたちが遊んでいます。
けれどもヒダリとミギはまだそこにいました。
「ねぇ、ミギ。とうとうボクたちだけになってしまったね」
「そうね」
「ミギ、ボクやっぱり溶けてしまうのが怖いよ」
「ヒダリ、生まれ変わることを怖れてはダメよ」
「ミギ、ずっとボクと一緒にいてよ」
「大丈夫。ヒダリ、アナタをずっと見ているわ」
そのときブランコで遊んでいた男の子が、地面の上に残っていた小さな雪の欠片を見つけました。
「ねぇ、ママ雪だよ」
「あら、ホント。まだ残っていたのね」
男の子は雪を自分の手のひらに載せました。
「あ…。」
小さな手のひらの上で、雪は冷たい水となりました。ヒダリが旅立つ瞬間を、ミギはブランコの下からじっと見ていました。

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土曜日。
青空公園の地面はもうぬかるんでいません。
けれどもミギはブランコの下にいます、まだ。風が吹きました。ミギは宙を舞いました。シーソーの傍まで飛ばされました。

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日曜日。
ミギは砂場の上にいます、まだ。公園掃除のおじさんがゴミを拾っています。空き缶、紙コップ、新聞紙、発泡スチロール…。
掃除のおじさんは砂場にやってきて、ミギを拾い上げると、ゴミ袋の中に放りました。
その発泡スチロールの容器にミギという名前があることを知っているものは、もう誰もいませんでした。
その晩、街に再び雪が降りました。
《おしまい》

久しぶりのショートストーリーは実は去年の3月に書いたものです。
初雪が降ったら日にブログでアップしようと思ってました。
このショートストーリーをなんとフランス語に翻訳してくださった方がいます。
翻訳してくれたのはこの方です。
可愛い4人のお子さんのお母さんです。
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by tabijitaku | 2009-01-09 22:42 | ショートストーリー

星見台

会話はいつもクロスした。
四人掛けのテーブル。父と母が並んで座り、向かい側に兄とわたしが座る。
母と兄は仲が良かった。兄は妹のわたしから見ても男前で、背も高く、頭も良かったが、高校生になっても、しばしば母とふたりで渋谷へ買い物に行ったりしていた。
「もしかして、お兄ちゃんってマザコン?」
一度、兄に訊いたことがある。妹からのストレートな質問に、兄は笑って答えた。
「そうだよ」と。
「でも、俺は父さんのことも千春のことも大好きだから、正確にいうとファミリーコンプレックス…つまりファミコンかな」
こういうことをさらりと言えてしまうひとが兄だった。
子どもの頃、四つ年下のわたしの手を引いて、よく遊びに連れていってくれた。
兄の同窓生たちにとって、幼いわたしは邪魔者になる。
「おい武弘、オンナなんか連れてくんなよ」
「千春はオレの妹だぞ」
「だって妹は野球できないだろ!」
「バットは振れるよ」
兄はしばしばわたしのせいで同窓生とケンカになった。正直、兄の優しさはときどき重かった。

兄が初めて彼女を自宅に連れてきたのは、わたしが中学二年生のときだったと思う。相手は兄と同じ学校に通う細身の綺麗なひとで由美さんといった。兄に夢中なのが一目見てすぐ分かった。
夕飯を一緒に食べることになった。父は不在だったので、食卓には兄と由美さん、母とわたしの四人が座った。母と兄はいつも通り自分の席に座った。わたしは兄達が並んで座れるように、母の隣に座ろうとした。しかし兄がそれを遮った。
「千春の席はここだろ。由美は母さんの隣に座んなよ」
彼女は結局、父の席に座った。話し上手な母と兄のリードで食卓の会話は盛り上がったけれど、わたしは由美さんの顔色ばかり窺っていた。
「武弘君の家って家族がホントに仲いいのね」
帰り際、由美さんはそう言った。兄と由美さんがその後どうなったかは知らないが、彼女がその後我が家に来ることはなかった。

食卓に家族が揃うと、いつも母と兄の会話が弾むので、わたしは自然と父と話すようになる。正確には父がわたしに話しかけてくる。
「気象委員会ってどんな仕事するんだ?」
「修学旅行は佐渡島に行くんだって?」
「弁論大会のテーマは決まったのか?」
母と兄の会話がテニスのラリーならば、父とわたしの会話はまるで正月の羽根突きのようにのんびりとしていた。
母と息子。父と娘。速度の違う会話が食卓を交差する。
それはわたしが十七歳のときまで続いた。母と兄が同時に死んだ日まで。

あれだけ世間を騒然とさせたあの事件のことを、わたしはいまもきちんと順序立てて話すことができない。
しかし実際は、事実はたった数行の文章で綴ることが可能だった。
自衛隊を脱走した二十代の若者が火炎放射器を持って、新宿の繁華街で凶行に及び、十二人の被害者の中に母と兄がいたのだ。
遺体確認に呼ばれた新宿署で、父は大きな声でわたしに言った。

「千春、見るな!」

わたしは家族を二人失ったことよりも、そのときは初めて聞く父の怒鳴り声のほうが驚きだった。霊安室から漏れ聞こえた父の嗚咽におののいた。
以前、インドを旅した友人がこんな話を聞かせてくれたことがある。インドでは線路脇に脱線した列車がそのまま何年も放置されているという。日本では考えられない話であるが、わたしの中でも、あのとき脱線してしまった何かが残骸となったまま線路脇に残っている。後片付けできないまま、時だけが過ぎた。
わたしはいま二十四歳になる。兄が経験することができなかった社会人になり、あと一年経てば母が父と結婚した年になる。
その間、我が家はずっと父とわたしのふたりきりだった。食卓に二つの空席を残したまま、父とわたしは自分の席を替えずに、斜向かい座り、羽根突きのような会話を続けた。

わたしは来月、転勤で名古屋へ行くことが決まっている。社宅ではあるが、初めてのひとり暮らしだ。転勤先が決まった週末、わたしは父と買い物に出かけた。家具屋へ向かう。
「向こうで買い揃えるからいいよ」と言ったのだけれど、父は「家具はいいものを長く使ったほうがいいから」と言って、わたしより熱心に家具を見て回った。
社会人にもなって父と家具屋に行くのは少々気恥ずかしかったが、結局、箪笥とベッドと本棚を買ってもらった。
会計をしているとき、ふと父が言った。
「ウチのテーブルも買い替えるか」
「…え?」
「いや、千春も家を出るんじゃ、さすがに四人掛けのダイニングテーブルはいらんだろ」
「…そうだね」
わたしは空席の三脚の椅子を想像した。椅子が余っていることが、
椅子を余らせておくことが、何だかとても残酷な気がしたので、父に言った。
「今度は卓袱台にしたら?」
「それもいいかもな」
「一緒に選ぼうよ」

食卓には兄との内緒の想い出があった。大きなテーブルは一枚板で、四本の脚はねじ式のため、取り外しが可能だった。
兄は両親が留守のとき、四本の脚のうち二本を外し、幼い妹に即席のすべり台を作ってくれた。食卓でそんなふうにして遊んでいたことがバレたら、さぞかし父にも母にも叱られたことだろう。
でももう時効だと思って、父にそのことを話した。兄の話を声に出してするのは久しぶりだった。父は笑って、わたしの知らなかったダイニングテーブルの想い出を語ってくれた。
「あのテーブルは母さんが選んだんだ。当時のわたし達にはかなり贅沢な買い物だった。最初父さんは大きすぎるんじゃないか、て言ったんだけど、母さんはこれから家族ができるんだから大きいテーブルが欲しい、と言って聞かなかったんだよ」

母が選んだダイニングテーブルが三十年間の役割を終える。最後の晩餐を済ませた後、廃品回収に出すため、父とわたしで夜のうちにテーブルを庭に運んでおこうと、という話になった。
猫の額ほどの小さな庭に、苦労しながらテーブルを立てかけ、裏返して脚を外す。兄とすべり台ごっこをした記憶が甦ってくる。
脚を二本外したところで父が言った。
「千春、ちょっとテーブルをひっくり返そうか」
「ちょっとお父さん止めてよ、すべり台なんかもうできないわよ」
「いいから、ほらそっち持って」
テーブルは脚を二本外したため、天板が傾いている。
父はその天板に慎重に背中から寄りかかった。
「ほら、千春も隣に」
わたしは父に言われるまま、父の隣に寄り添うように、斜めの天板に身を預けた。肘に触れる天板がひんやりと気持ちよかった。
母の選んだテーブルは頑丈で、大人二人分の体重を二本脚でしっかり支えてくれた。
「…なんか綺麗だよね」
「そうだな」
ふと指先に父の体温を微かに感じた。
「あれ、こういうの何て言うんだっけ?」
「星見台」
「ホシミダイ?」
「星を見る台と書いて星見台だ」
家々の屋根に妨げられたイビツな群青の夜空に、星が瞬いていた。
《終わり》

久しぶりに書いた短編です。
「義妹さんに読ませてあげたらいいよ」と言ってくれたひとがいるので、ブログで公開することにしました。もちろん100%フィクションです。
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by tabijitaku | 2008-06-29 02:19 | ショートストーリー

続小説的雑文 あるいは最後の1枚のための前奏のようなもの

東京の雪は、まるで通りすがりの一見の客のようだ。
雨になり、泥になり、氷になり、かつて雪であったものだけが街角に残る。

一夜明け、快晴の東京。
わたしは公園にいた。
園内には古い家屋や近代建築の建物が展示してあり、部屋の中に入ることもできる。
あの名作アニメ映画のモデルになったと言われる銭湯もある。

わたしはここで1ヶ月ぶりに、ある男と会う約束をしていた。
クリスマスイヴ。
鍋の匂い。
湯気の香り。
蛙の箸置き。
白い割烹着。
途切れ途切れの会話。
あれからもう1ヶ月がたったのか、と思う。
しかも、わたしはこの間、遠く離れた東欧の国に行っているのだ。

「50枚目の写真はどうした?」
彼は会うなり、すぐにそう言った。
わたしは苦笑する。

東欧旅行の旅の記録を、わたしは50枚の写真でブログに残そうとした。
しかし49枚の写真をUPしたところで、最後の1枚を更新する前に、わたしの中で生まれたふとした躊躇がブログ熱を奪ってしまった。

この10年間で、彼と会うのはこの日が2度目。
その前は賀状のやりとりしかしてこなかったし、10年前のことだってろくに憶えてやしないのだ。
転居通知の返信に、わたしがブログを始めた話を書いたら、以来彼はちょくちょくわたしのブログを見ていたようだ。
去年の暮れ「会わないか?」「会えないか?」というたった2つの言葉がわたしたちの10年ぶりの再会のきっかけとなった。


「出し惜しみはよくない。さっさと写真をUPしよう」
「別にそんな気はない」
「アウシュビッツは?行ったんだろ?」
「行ったよ」
「なんでその写真が出ない?」
「水色と黄色のツートンカラーの電車の写真見た?」
「…扉が赤い電車?」
「そうそう、あれアウシュビッツのあるオシフィエンチムの駅。それからラザニア味のスープ飲んだのも同じ駅。あれマジでウマいよ」
「で、50枚目の写真は?」


ブログを休止します、と書いたら、彼が非公開コメントで何か書き込んでくることは、ある程度予想していたことだった。
書き込みはまたしても1行。
「111111111」
うーむ、そうきたか。

「ポーランド土産があります」とメールを送る。
【日曜日は?】と書いてきたので、わたしが場所を指定すると、彼が時間を決めた。

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雪の残る公園は楽しい。
園内のそこかしこに雪だるまが現れる。
太陽の光に追い立てられながら、束の間の雪遊び。これも東京の冬景色だ。

ポーランド土産のメルセデスのショベルカーのミニカーを見て、彼は「ジェンクイェン」とポーランド語を使った。
調べてきたのか、マメな男だ。

「これ、どこで買ったの?」
「スーパーマーケット」
「ふーん、いい色だね」
「でしょ」


初めての欧州旅行だった。
まず、街を彩る鮮やかな色使いに魅了された。
看板、標識、日用雑貨、乗り物に至るまで、この国にあるものは何もかもがオシャレで洗練されていると思った。
街を歩いているだけでわくわくした。
それはわたしが漠然と想像していた「アウシュビッツのある国」のイメージとは遠くかけはなれていた。
更にこの国の住人には暗い影がなく、概ね紳士で基本的に社交性がある。
わたしはいっぺんにポーランドが好きになった。


「アウシュビッツは一面雪で覆われていてさ、まるで“ファーゴ”の世界だった」
「コーエン兄弟の?」
「そう。第二収容所のあるビルケナウは“シンドラーのリスト”や“白い巨塔”のロケでも使われた場所なんだけど、もう一面雪、雪、雪…」
「それは残念」
「いや、そう思わなかったな。むしろ、これがリアルなアウシュビッツなんだと思った。あの白の世界に囚われたら、ひとは逃げようとは考えられなくなるんじゃないかな」
「柵は?」
「あるよ。当時は電流が流されてたみたいね」


園内を並んで歩く。
著名な建築家の設計した自邸に入ったら、ボランティアのガイドさんが声をかけてきた。
通常は立ち入り禁止になっている2階に上がらせてもらう。
ロフト状の2階は寝室になっており、隠し扉の向うには屋根裏部屋があった。
「この建物は元々品川にありましてね、この庭の窓からは東京湾が見えたんです」とガイドさんが教えてくれる。
さすがに庭から見える風景までは移築できなかったのだ、と思ったら、庭に生えている木の位置まで正確に再現されているという。
パンフレットを見たら1942(昭和17)年建築とある。
これは、ポーランドにアウシュビッツが存在していた時期とほぼ重なる。


「なぁ、人を服従させようと思ったら、最も確実な方法はなんだと思う?」
「…絶望させることかな」
「まさに俺が感じたのもそれなんだよ。だから雪で覆われたアウシュビッツのほうがリアルだと思ったんだ」

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これは明治初期に創業した文具店。
店内は当時を再現して、書道道具が展示されている。
それにしてもきちんと整然された陳列はまるでデザインを見るようで美しい。


「彼女がさ、あの別れた女房だけど、どうも再婚したらしい」
「そうか」
「あれだな、離婚に未練なんか別にないんだけど、アイツが再婚したって聞いて、何ていうか俺との結婚はやっぱり間違ってたんだな、て証明されてしまったな感じがするよ」
「お前、その考え方は女々しいよ」
「だよな」
「好きなまま別れたわけじゃないんだろ?」
「ああ、でも憎みあってたわけでもない」
「じゃあ、なんで?て俺は訊いたほうがいいの?」
「いや、訊かれても答えられないな」
「…離婚する前、選択肢は見えた?」
「選択肢?ウチの場合、女房がもうそうと決めたあとだったからさ、俺はにはもう選択の余地はなかった…な」



わたしはアウシュビッツ収容所で1枚の写真を見た。
それは兵士が母子に銃口を向けた写真。
女は兵士に背を向けている。
腕の中には幼い子ども。
兵士は至近距離から母親の後頭部に銃の照準を合わせている。

その写真には“選択肢”というものがまるで見当たらなかった。

殺す役の兵士。
殺される役の母子。
そしてそれを写すカメラマン。

兵士が「殺さないこと」を選べたとは思えない。
女が「殺されないこと」を選べたとも思えない。
カメラマンははたして「写さないこと」を選べたのだろうか?
赤ん坊には最初から「生きること」を選択できる余地がなかった。


「選択肢がないということと、選択しないことを選択することは違う」
それがわたしがアウシュビッツにいる間、ずっと考えていたことだった。


駅前のファミレスでパスタを食べ、わたしたちは言葉少なに別れた。
次の再会は1ヶ月後かもしれないし、10年後かもしれない。
場所は東京かもしれないし、ひょっとしたら異国の地かもしれない。
家に着いて携帯を見たら着信が3件。
3件ともあの男である。
電話をかける。

「さっきの話、選択肢のない写真だけど」
「アウシュビッツのね」
「うん、あれ写真撮ったの?」
「撮ったよ」
「50枚目のポーランドの写真にする気?」
「なんで?やめたほうがいい?」
「いや、俺いつかその写真観に行こうかな、て思ったから」
「そういうの、何て言うか知ってる?」
「?」
「確定未来って言うんだよ。俺にとってアウシュビッツに行く事は確定未来だった」
「確定未来か、うん…いい響きだな」
「ポーランドに行く気になったらブレーン企画のオオツタさんというひとを訪ねるといい」
「旅行会社のひと?」
「ああ、地球の歩き方にも載っているよ」
「わかった」
「俺のもう1つの確定未来を教えてやろうか?」
「どこ?」
「チェルノブイリ」


例えば本を読むときは1ページ目から読む。
けれど、何かの拍子で本を落としたり、風でページがめくれたりして先のページが開いてしまうことがある。
そしてそのページに書かれた台詞や言葉が偶然目に入ってしまうことがある。
先読みしたページの言葉は、約束された未来を少しだけ覗く行為。
わたしにとって、確定未来とはつまりそういうことだ。

2005年暮れ、私はようやくアウシュビッツを訪れることができた。
それは人生を読み進んだことと言えるのだろうか?
アウシュビッツに足を踏みいれたことが自分の中で意味を持つのは、これから先だという気がする。

※フィクションです。
ただし、ブレーン企画さんの記述は本当です。
東欧、及びロシアにお出かけの際はご相談されてはいかがでしょう。
http://www.55world.com/index.php3.ja
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by tabijitaku | 2006-01-24 01:48 | ショートストーリー

小説的雑文 「いぬの哭き声」

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そしてわたしはもう1つのミステリーを綴るのだ。
これが今年最後のブログ更新となる。

先週は忘年会が2度あったため、わたしにしては珍しく二度飲めない酒を飲んだ。
予定外の3度目は、予定外の相手からクリスマスイヴの前日に連絡が入った。

同窓生だった。
東京を出て名古屋に行ったという話は聞いていたが
10年近く賀状のやりとりしかしてこなかった男だ。
それが突然連絡してきて、会いたいという。

きっかけはわたしが転居通知に、秋から始めたブログのことを知らせため。
以来、ヤツはときどきわたしのブログを見ていたらしい。

クリスマスに合せて、わたしはブログでちょっとしたクイズ企画を催した。
参加者には非公開コメントで解答を募った。
その中に紛れるように、ヤツからのコメントがあった。

「会わないか?」

最初のコメントは一言そう書かれていた。
わたしが返事を躊躇していると、今度は「会えないか?」というコメントが書き込まれた。

会うことにした。
場所は彼が用意した日本料理屋。個室だった。
たまたま空いていたとは思えないから予約してあったのだろう。

昔話に花が咲くほど我々が共有している想い出は多くなかった。
懐かしい話はそこそこに、彼はわたしの近況をあれこれ尋ねてきた。

ふとおもむろに彼が携帯を取り出し、わたしに一通のメールを見せた。

件名【111111111】

受信メールの一覧には、数字の「1」が並んだ件名が残っている。
送り主は「chihiro」という名前だった。

「別れた女房」と彼が言った。

妻から届いたメールは全て消したが、この数字の1だけはなぜか消せずにいるのだという。
メールは離婚後、数ヶ月してから届いた。件名のみで本文のない携帯メール。

「返信したのか?」
「…いやできなかった」
「そうか」
「なぁ、1の羅列にどんな意味があったと思う?」
「さぁ」とわたしは言った。

たぶん彼は最初からわたしの答えなんか期待してやいなかったのだろう。
続く彼の言葉は独り言のように聴こえた。

あるいは数字には意味なんか無かったのかもしれない。
返信メールを送るなりして、意味を尋ねればすむことだったが、俺はそれをしなかった。

なぜ、そんな話をわたしにしたかは分からないが、
頭の中でまったく別なことを思い出していた。
わたしの中にも記憶に残る文字の羅列があったのだ。


「んんん」


黒板に大きく書かれた文字は3文字とも「ん」だった。

私は小学校四年生で終業式を間近に控え、埼玉から東京に引っ越すことになっていた。
たまたまその時期、同じクラスにもうひとり他県へ転校する子がいた。
黒板の文字を見たのは、わたし達二人の転校生に対し、ホームルームでお別れ会を開いてもらった日の放課後だった。
忘れ物を取りに帰った私が教室に戻ると、ちょうど教室から出ていくひとりの生徒と擦れ違った。
私の顔を見ると、彼女は逃げるように走り去った。
それがもう一人の転校生だった。

カンダマチコ。

それが彼女の名前である。漢字は忘れてしまった。最初から憶えていなかったのかもしれない。
マチコはとても美しい顔立ちをした少女だった。
真っ白な肌。漆黒の髪。髪はいつも眉毛のきっちり2ミリ上で切り揃えられていた。
思い出される彼女の顔はいつも笑顔で、しかしそのくせそれが幸せそうに見えたことは一度もなかった。
自信の無さげな貧しい笑い顔であった。
実は当人は少しも嬉しくも楽しくもないんじゃなかろうか?と疑問すら持たせる笑顔だった。
あれは算数の時間。黒板には「X:6=8:12」という例題が書かれていた。
教師に指名されたマチコは、前に出て黒板に向かったものの、チョークを持ったまま全く手を動こうとしない。
教師が意地悪く言う。
「おい、さっきちゃんと説明したじゃないか!たすき掛けにして掛け合わせてみるんだ。まずは「6×8」」
それでも彼女は動けなかった。
「6×8だ。ロクハはいくつだ?」
振り返ったマチコは「へへへ」と照れ笑いを浮かべると、肩をすぼめた。
彼女は小学校四年生にもなって九九を覚えていなかったのだ。

九九のできない彼女は、他の例えば体育や音楽でも特に目立った活躍を見せることはなかった。
字も汚かった。
彼女と隣の席に並んで座っていたことがあった。そのとき横目で彼女のノートを覗いたら、まるで毛虫がのたうち廻っているような筆跡だった。
当時の私にはこうしたことがとても理不尽に思えてならなかった。
こんなに美しい少女が、九九もできなかったり、字が巧く書けないことが、「間違っていること」のような気がしたのだ。


「んんん」は黒板いっぱいに大きな字で書かれていた。
マチコが書き残したという根拠はない。
だがその筆跡に見覚えがあった。
あれはマチコの字だ。

実はその後の人生で、私はこのときの話を何度か酒の肴にしている。
どこにでもこの手の話が好きなやつというのがいる。ちょっとしたミステリー問答となった。

「きっと文字が「ん」であったことがポイントなんだよ。「ん」から始まる日本語は無いだろ。つまり「ん」は全ての終わりを意味する。あの三文字は彼女のお別れのメッセージだったんじゃないか?」

「んんんはモールス信号みたくSOSの意味じゃないかしら。だって彼女イジメに遭っていたんでしょ?」

様々な臆説が飛び交った。変わったところでは、あれは「ん」ではなく、アルファベットの「h」だという珍説を唱えたものもいたが、だとしたらトリプルエイチがどういう意味だったかという別な謎が残るだけだ。
実際にあの3文字を目撃した私は、あれが「ん」であったことを知っていたし、それがなぜ「ん」だったかも分かっていた…たぶん。
そしてそのことについては、酒の場ではもちろんこれまで誰にも話したことはない。
だからこれは答えのないインチキミステリークイズなのだ。

担任教師の産休でその初老の女教師がわたし達のクラスに来たのは、確か四年生の二学期に入ってからのことだった。
体育と図工、音楽以外は全てその臨時教師が受け持った。
それは新しい教師に代わってから最初の書道の授業でのことだった。
その日の習作はちょっと変わったな課題が与えられた。

「皆さん、自分の名前を平仮名で書いて見ましょう」

小学四年生が書道の授業で平仮名を書かされるなんて、みんな内心そう思っていたのではないか?
私の隣では例によって、マチコが毛虫がのたうち廻ったような字を書いている。
臨時教師は教室をゆっくり歩き回りながら、生徒たちの作品を眺めていく。
そして教師は私達の横に来たとき静かに言った。
「ワダ君は「わ」の字が上手ですね。カンダさん、貴方は「ん」の字が実に素晴らしいです」

教師はそう言って去っていた。
私は改めて自分の「わ」の字を見て、ついでマチコの書いた作品を見た。やはり毛虫がのたうち廻った字であったが、その中で「ん」一文字をとって見ると、それは確かに堂々とした文字に見えたから不思議である。

教室を何周かした教師は、教壇に立つと順番に生徒の名前を呼び始めた。

「タナカマサアキくん。黒板に「あ」の字を書いて。場所はここ。そう右上から」
「次、オオタイクコさん。貴方はその下に「い」の字を書いて下さい」
そうして一人づつ呼び出しては、黒板に一文字づつ書かせてゆく。
黒板の五十音は残すところ「ワ行」だけとなった。
「ワダくん。君の得意な「わ」の字を書いてみてください」
教師は私の書いた「わ」の字の下に自ら「を」の字を書いた。
そして最後に指名されたのがカンダマチコだった。
「カンダさん。最後です。貴方の素晴らしい「ん」の字を前に出て黒板に書いて下さい」
マチコは「へへへ」と笑って、「ん」の字を黒板に書いた。
彼女が前に出て、実際にチョークで黒板に字を書くのを見るのはそれが初めてだった。
完成した五十音は、字の大きさがまちまちだったり、行や列が曲がっていたりして、全体としてはイビツな五十音だった。
だが、臨時教師は言った。

「これが私達日本人の字です。皆さん、どうぞ平仮名を大事に書いてください」
教師は「上手に」ではなく「大事に」と言った。隣の席のマチコを見たら、彼女は「ん」の字ばかり繰り返し書いていた。

あの日の放課後、私はマチコが残していった3つの大きな「ん」の字をしばらくの間眺めていた。
ほんの数秒前まで、彼女はこの教室でひとり黒板に「ん」の字を書いていたはずだ。
何だか大切なものを逃したような気分になっていた。
わたしはマチコが書いた「ん」の字の上に負けじと大きな字で「わ」と書いた。「わわわ」と3つ続けて思いっきりよくチョークを走らせた。
黒板の文字は「わんわんわん」になった。
だから翌朝、登校した生徒たちが目撃したものは、謎の「犬の哭き声」であったはずである。
それが私とマチコ、ワ行の二人の競作だったと気づいた者はどれだけいただろう?


そして日本料理屋の畳の上。
湯気の匂い。
わたしの知らない銘柄の外国煙草を吸う男。

この男はなぜ、わたしを呼んだのだろう?
彼の別れた妻はなぜ、意味不明の数字をメールを送ったのだろう?
マチコはなぜ黒板に「ん」の字を書いたのだろう?
わたしはなぜ「わ」の字を足したのだろう?

答えなんか必要としない謎がある。

【存在証明】

わたしは頭の中に浮かんだ言葉を、この日口にするこはなかった。

「俺もブログ始めようかな」
別れ際に同窓生はそう言った。

「いろいろ教えてくれよ」
「教えるほど、いろいろないんだけどな」
「…なぁ、ときどき自分がカラッポだって感じることはないか?」
「…よくあるよ」
「そういうときはどうする?」
「旅にでる。と言っても週末の2日間だけどな」
「で、どうなる?」
「カラッポじゃなくなる。…オレの場合な」
「今度、俺を連れてけよ」
「じゃあ、クイズを解けよ!プラン練ってやるから」
「地下だろ」
「即答だね。知ってたの?」
「論理的に考えたらそれしかないだろ?」

わたしは何だかとても愉快な気分になっていた。
酒が入っていたせいか、一度笑い始めたら止まらなくなった。
可笑しくておかしくてしょうがない。
思い出していた。
彼がかつてトモダチだったことを。
そしていまも…。

わたしにつられたかのように、彼も笑い出す。

それが聖夜の存在証明だった。

【完】

※フィクションです。
ポーランドへ行ってきます。
来年もよろしく。



チャオ!
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by tabijitaku | 2005-12-29 00:03 | ショートストーリー


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