<   2007年 05月 ( 17 )   > この月の画像一覧

ドラえもんの孤独

a0048851_1385859.jpg


会社からの帰り道、そうだ、きょうはブログにドラえもんの書こうと思っていたら、yahooのトップニュースにそのドラえもんのニュースが出ていた。

ドラえもんの最終話を勝手に自作・販売した男性が、販売元の小学館に謝罪し売上金の一部を支払った、というニュースだった。
電池切れで動かなくなったドラえもんを、35年後にロボット工学の第一人者に成長したのび太が修理し、よみがえらせるというストーリーらしい。

ネットで調べてみたら、ドラえもんの最終話は、随分昔からネット上で話題になっていたようで、都市伝説のごとく、他にも何パターンもあるらしい。
興味のあるからはウィキペディアをどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ドラえもんの最終回

わたしがきょう、ブログに書こうと思ったことは、偶然にも前述したストーリーに通じるものがあり、つまり「ドラえもんを助けるのは誰?」ということだった。

のび太は「ドラえもーん、助けてー」といつもドラえもんに泣きつく。
スネ夫はジャイアンの腰巾着だし、そのジャイアンだって「母ちゃーん」と母親に泣きつくことがある。
じゃあ、ドラえもんは誰に助けを求めたらいいんだろう?
ただの無意味な妄想話だけど、そんなことを考え始めたら、未来からひとりやってきたドラえもんは、夜、押し入れの天井を見ながら何を考え、何を思っていたのかが気になった。
ドラえもんは確かに愛されている。
のび太に、のび太のパパに、ママに、しずかちゃんやその他の仲間達に。
けど、未来から「単身赴任」にしたドラえもんが、孤独を感じるときがなかったとは思えない。



小さな会社ではあるが、わたしはいま役員をやっている。
ある日、社長に呼ばれて「お前、取締役にするから」と言われ、名刺が肩書きが取締役部長に変わった。
その日までわたしを「さん」付けで呼んでいた同僚や後輩達が、わたしを「部長」と呼ぶことはさすがになかったが、その後に入社した連中は、当たり前のように、わたしを部長と呼ぶし、会社で起こるほとんど全てのことに対し、それはわたしの仕事じゃないから、とは立場上言えなくなった。

今年の正月明け、仕事上でお付き合いのある某商社の社長から、新年会に招かれた。
年商百数十億の商社の社長で、一言で言うと生き方、考え方から立ち振る舞いまで全部が全部カッコいい方だった。
話題が昨年わたしが参加した幹部研修の話になると、その社長さんが身を乗り出してきて、わたしに対してあれこれ話かけてこられた。

「あなた自身、その研修を受ける前と受けた後で、何が変わったと思いますか?」
と質問されたとき、わたしはもちろん答えなど用意してなかったので、とっさに思ったことをそのまま口にした。

「今までの自分は社長のことしか見てなかったんだな、と思いました」

これを聞いた商社の社長さんは「素晴らしい!」とビックリするぐらい大きな声をだした。
わたしの隣では、うちの社長がただニンマリしてビールを飲み続けていた。

それは結局のところ、わたしが自分の会社の社長だけでなく、よその会社の社長さん達とも触れることで垣間見た、トップに立つ人間の逃げ場のない孤独感みたいなもののことで、経営者が孤独を感じる瞬間というのは、(想像でしかないけれど)、自分のことを心配してくれる人間がいない、てことではなくて、自分のたちが生きてゆくための会社のことを、自分と同じぐらい必死に考えてくれる人間なんていないんだ、て感じたときなんかじゃないかと思う。
社長の顔色をうかがう社員はどこにでもいるが、それはたぶん風邪をひいている人間に「お大事に」っていう程度のことでしかないような気がする。
これは弟から聞いた話だけど、彼が以前勤めていた会社の社長ってのも、アクの強いひとらしく、多くの社員から反発をかっていたらしい。
けれど、あるとき独身の社員が高熱を出して会社を早退する、てなったときに、その社長さんは、着替えを買ってきて渡したという。
わたしはその社長さんのことはまるで知らないので、その他のことはわからぬが、着替えを用意する、という気遣いはそうできるものではない、と感心してしまった。
些細なことかもしれないけど、会社の玄関口に置いてある花壇に水をやったり、トイレの切れかかった蛍光灯を換えたり、そういうのを「当番」や「仕事」でなくできるひとって案外少ないような気がする。

偉そうなことを書いたが、わたしはのび太だ。
ドラえもんではない。
わたしがドラえもんのためにできることなんてたかが知れているだろう。
でも、せめてドラえもんの孤独に気づく人間でありたいとは思っている。
[PR]
by tabijitaku | 2007-05-30 01:51 | 雑文

「海でのはなし。」を観て。久しぶりの映画談義

a0048851_0305236.jpg


今朝の喘息はケンドーコバヤシから始まった。

You Tubeでケンコバのネタを見ていたら、むせるほど笑って、そのまま咳が止まらなくなった。
もう泣けてくるほどわたしはバカだ。

テレビで見かけて、このひとが出てたら思わずチャンネルを止める、という芸人さんは、わたしの場合、千原ジュニアとケンドーコバヤシ。いやぁ、面白すぎる。
芸人ではないけど、みうらじゅんも凄いと思う。
昔、「最近、崖がマイブームです」と言って、朝の「はなまるマーケット」で崖の歌を歌い出しだしたとき、感動してしまった。
一度しか聴いたことはないが、「いい崖出してる」のフレーズは今でも忘れられない。
所ジョージの「泳げ!たいやき屋のおじさん」と並んで、わたしの中で不滅の「裏」ヒットソングである。
ちなみに「泳げ!たいやき屋のおじさん」は毎日毎日タイヤキを焼いているおじさんのほうが嫌になっちゃったという、というせつなーい(?)歌です。必聴ですよ。

きょうは弟と母から電話があったが、咳がひどくて、とてもじゃないけど電話で話せる状況にない。
早々と電話を切った。

本当は週末、映画「バベル」を観に行きたかった。
しかし、冷房の効いた映画館はこの発作が完全に治まるまでは無理だ。

代わりにDVDを借りてきた観ていた。
「海でのはなし。」
http://www.umidenohanashi.com/
TUTAYAの新作コーナーでたまたま目にした映画。
スピッツの歌から生まれた物語らしい。
わたしの周りにはスピッツ好きが多いので、わたしもけっこう聴く機会が多い。
パッケージの出演者を見たら宮崎あおいと西島秀俊の名前があったので迷わず借りた。
宮崎あおいは、たぶんあまり知られていない映画だと思うが、「害虫」という作品を観たとき、この子は凄い女優だと思った。「タクシードライバー」でわずか13歳で娼婦役を見事に演じきったジョディ・フォスターを彷彿させる。
西島秀俊は、「デュオ」のどうしようもないヒモ役での名演技を思い出す。
「デュオ」は諏訪敦彦監督の作品で、同監督の「M/OTHER」という作品はわたしがこれまでいちばん繰り返し観た映画だ。今でも1年に1度ぐらい観たくなる。同じように1年に1度ぐらい夜ひとりで観たくなる映画に深津絵里主演の「ハル」がある。
「ハル」はともかく、「M/OTHER」はひとに薦める類の映画ではなくて、例えばこれまで弟に推薦した映画でハズしたことはまずはないが、「M/OTHER」だけはイマイチだった。

西島秀俊は日本の男優さんではいちばん好きな俳優かもしれない。
海外では一時、アル・パチーノの作品を片っ端から観ていたことがある。
始まりは「ゴッドファーザーPART2」だったけど、「セルピコ」
「狼たちの午後」「カリートの道」「セント・オブ・ウーマン」と立て続けに観た映画がすべて良かった。この俳優さんは目で芝居する。
ショーン・ペンも好きだし、ジョン・マルコビッチもいい。

さて「海でのはなし。」に戻ると、出番こそ少ないがアカデミー賞ノミネートで今年、話題になった菊地凛子も出演している。存在感あるひとだと思う。

しかし、肝心の「海でのはなし。」は映画として、あんまり面白くなかった。
いい役者揃えて、いい芝居してるのに、本当に惜しい映画だと思う。
スピッツの歌が映画のいたるところで流れるのだけど、ミュージッククリップみたくしたかったのか、単に楽曲へのオマージュなのかいまひとつわかりにくい。
ミュージッククリップにしては、曲が途中で切れるのも唐突な感じがした。
スピッツ好きのあのひとは、この映画を観てどんなふうに思ったんだろうな。

最近観たDVDで出色の出来だったのは「ストロベリーショートケイクス」
魚南キリコの漫画が原作で、原作も傑作だけど、映画にはオリジナルのディテールが多分にあって、音楽も素敵だった。

たぶん、1年ぐらいしたら、また観たくなるだろう。

※写真はいまはもうダムの底に沈んだでしまった村の廃校で撮った1枚。窓はしばしばわたしの被写体になる。
[PR]
by tabijitaku | 2007-05-28 00:54 | 雑文

喘息フォークソング

a0048851_0433982.jpg


この革の靴クリームみたいな形状に見覚えのある方は、おそらくわたしと同じ持病があるか、あるいは近しいひとにそういう方がいらっしゃるのだろう。

わたしが自分が喘息持ちだと知ったのは、ずいぶん大人になってからのことで、子供の時分は気づいてなかったので、常備薬もなければ、マラソン大会を休んだこともなかった。

ただ、忘れた頃にやってくる突然の発作は、あれがただの風邪ではなかったんだとわかって妙に納得できた。

詳しい知識はまるでないので他の方がどうかは知らないけど、わたしの場合、2年か3年に一度発作がくる。
最初は「コン、コン」という咳から始まり、それが「ゲホ、ゲホ」になり、涙を伴うほどの連続する咳となって、最後には吐く。
風邪の咳とはまるで違って、知らない方には大げさに聞こえるかもしれないが、ひとつ咳をするたびに、肋骨にヒビが入ってゆくような感じがする。
あるいは肺に穴が開いているんじゃないか、て思うぐらいヒューヒューと息が口から漏れる。

いちばん辛いのは夜、眠れないこと。
喘息の咳は不思議なことに、身体を横にすると激しさを増す。
俯せでも仰向けでも、横を向いてもそれは同じで、身体を寝かせることができない。
身体を起こすと楽になるので、夜眠れないときは毛布を身体に巻いて体育座りをして寝る。
わたしはこの年まで幸運にも大病も大きな怪我もなかったので、「死ぬほど辛い」肉体的経験をしたことはないけど、喘息の発作で呼吸困難になったとき「いっそ殺してくれ」と思ったことはあった。

夜、深い眠りがとれないことで体力はどんどん低下する。
昼間、普通に椅子に座っているときや歩いているときは、ウソみたいに咳が止まるので、一見ただの寝不足に見える。
喘息だ、という自覚症状がなかった少年時代はこれで随分苦しんだ。
つまり、昼間は平気なので、学校を休むこともなければ、体育の授業にも部活にも参加することになる。わたしは小中学校時代を通して、祖父の葬儀以外で学校を休んだことがなかった。

夏場の喘息にはもうひとつ大きな天敵がある。
「冷房」
この一週間わたしはずっとマスクをつけて出社した。
真夏日を記録した先週、事務所ではガンガンにエアコンが効いていた。

いったん咳が出始めると、もう止まらない。
トイレに駆け込むわたしを見てさすがにおかしいと思ったのか、社長が咳止めシロップを探し始めた。
だから「これは喘息なんです」と話した。
咳止めシロップは効かないんです、と。
わたしはこれまで、ハッキリとこれをひとに打ち明けたことはなかった。
何年かに一度の発作など話す必要はない、という思いが9割。隠していたかったという気持ちも正直、1割ぐらいはあった。

しかし、わたしが思っていた以上に、周囲は喘息というものに理解があった。
社長は「オレの兄貴も喘息だったから」と言い、冷房を止めた社長室を空けてくれてここで仕事するように、と言ってくれた。
わたしの下で働いてくれているパートさんも、息子さんが喘息だという。

今週、わたしは風邪薬と喘息を抑える薬の他に、医者に頼んで睡眠導入剤をもらって毎晩飲んでいた。
風邪のほうは治ったみたいなので、きょう診療所で喘息の薬だけ2週間分もらってきた。
ハチミツがいいらしい、と社長に聞いたので、ハチミツ100%のキャンディも買った。
昔、読んだ中島みゆきさんの本では、(彼女は小児喘息だったらしい)、アレルギー体質を誘発しやすい卵を食べないようにしたら不思議と咳が止まった、なんてことも書いてあった。(あくまで自分の場合はと強く念を押されている)

持病というのは読んでの字のごとく、病を持っているわけで、生きてゆくかぎりこれと付き合ってゆかなければならない。
前述した中島みゆきさんは本の中で、発作の始まりを「せき虫との再会」と書かれている。
確かに眠れぬ夜に、ベッドの上で膝を抱えて体育座りをしていると、たくさんの昔を思い出す。
そしてたくさんの昔の中から、中島みゆきの「タクシードライバー」を繰り返し聴いた。
こんなことでもないと、夜ひとりでフォークソングなんて聴かないからなぁ。
[PR]
by tabijitaku | 2007-05-27 00:53 | 雑文

砂浜ロックンローラー

a0048851_8292461.jpg

a0048851_8294060.jpg

a0048851_8295589.jpg

a0048851_830958.jpg

a0048851_830332.jpg

[PR]
by tabijitaku | 2007-05-24 08:34 | 写真館

ナビィの恋の堤防メモリアル

その島ではメモリアルは「堤防」に刻まれる。
たぶんサクラが咲くのも早いんだろう。
それがナビィの島。
http://www.shirous.com/nabbie/

a0048851_8403430.jpg

a0048851_8405241.jpg

[PR]
by tabijitaku | 2007-05-23 08:46 | 写真館

点滴涙

a0048851_2265759.jpg


4月の頭、地球を1周半分走った愛用のバイクがついに故障した。
東北自動車道で突然、動かなくなったのだ。
JAFを呼び、地元の馴染みのバイク屋さんまでレッカー移動を頼んだ。
長期入院の費用は12万1千円。
「買い直したら?」と誰に言われるまでもなく、買い換えは覚悟していた。
しかし、いざバイク屋さんから「11万を超えそうですけど、修理しますか?」と言われたとき、自分でもちょっと驚くぐらい、わたしは迷うことなく修理を希望した。
6年前当時としては「人生最大の買い物」として購入したHONDAのフォルツァ。
50万円した。
今回、修理とレッカー代で15万円以上の出費となってしまったが、何だかこれで付き合いが深くなった気がする。

バイクだけでなく、身体のほうにもガタがきていた。
ここ数年、わたしは風邪らしい風邪をひいたことがない。
どんなに職場で風邪が流行っても、わたしは自分が風邪をひく気がまるでしなかった。
そのことを社長に話すと「オレもだよ」と言っていた。
わたしは一応、役員なので有給休暇というものがない。
だから会社を休むときは、すべて私用での欠勤となる。
白状すると、ここ3年でわたしが会社を休んだのは、会社にどうしても行きたくなかったときだけだ。
それにしても年にせいぜい1度か2度のことなのだから、目をつぶってもらいたいというのはワガママか。

あれは7年ぐらい前になるだろうか?
いまの会社に入社して半年ぐらいたった頃だと思う。
わたしはいまとは違う意味で、猛烈に忙しかった。
先輩たちが立て続けに退社したことで、わたしの仕事量は毎月増え続けた。
当時は通販の卸会社で受注と出荷の段取りを担当していた。
お客さんからの注文は毎日FAXで送られてくるのだけど、それをメーカーに注文して、入荷日を確認後、お客さんに納品日を連絡する。
簡単にいうと、そういう右から左、左から右へのシンプルな業務だった。
ただし、量がハンパでなかった。
午前中、出社してお昼まで一度もイスに座れないこともあった。
FAX機の前から離れられないのである。
注文書を流すにもいちいち、イスに座って机で書くより、立っているほうが早かったので。
メーカーから仕入れた商品には必ず納品書というものがあり、それを専用のソフトに1枚づつ入力していくという地味な作業もあった。
わたしはこれをだいたい月に3度ぐらいしかやらなかった。否…やれなかった。
その月に3度はたいてい土曜日の休日出勤で、納品書は棚の抽斗からもう溢れでていた。
わたしは誰もいない会社の床に、それをせっせと仕入れ先の名前ごとに五十音順に並べることから始めた。
会社の床はまるで納品書のカルタ大会みたいになる。
そうなる前に日々、五十音順にファイリングしておけば良さそうな話だけど、当時はそのわずかな余裕もなかったのである。
あるとき、土曜日にたまたま顔を出した社長が床一面の伝票を見て、「何ごと?」と言った。「踏まないで!」わたしはまずはそう叫んだ。

日々、仕事に追われる中で、わたしは少しづつではあるが、業務内容の見直しを計り、前任者から引き継いだやり方を自分なりにアレンジできるようになった。
一番忙しかった冬を過ぎ、春も終わる頃には、わたしは休日出勤しなくても仕事をこなせるようになっていた。

そんな頃、わたしは違う理由で、精神的にもういっぱいいっぱいになっていて、
あるとき「きょうはどうしても仕事をやる気になれないんで帰ります」と社長に言って会社を早退した。
社長は「どっか行くの?」とわたしに尋ね、わたしは「日光のほうへバイクで走ってきます」と答えた。
彼はわたしを一言も咎めなかった。
ただ一言、わたしが社を出るとき「気をつけてな」とだけ言った。

この話をいま、後輩や部下にすると「ウソでしょ?」と言われるけどホントの話。
当時は会社組織としていろいろなものがまだ未整備だった。
ルールも管理も教育もケアも。
けれども、あのとき自分の身勝手な職場放棄を許してくれた社長の下で、わたしはいまも働いているわけで、その間何もなかったかというと、それはもう戦国絵巻ぐらいいろいろあったのだけど、いまもここにいる、ということはこれはやっぱり縁なんだと思う。
感謝している。

さて、きょうのわたしは仕事をやる気になれなかったわけでなく、風邪をこじらせて欠勤したのである。
先週からひきずっている風邪が、週末で更に悪化した。
ここ数年、風邪をひいたことないと最初に書いたけど、それは風邪の予感がしたら先手必勝とばかりに完全撃退をしていたからで、今回も先週、ノドの痛みを感じた時点で、葛根湯を飲んで、ホットレモンを飲み、早めに寝床に入ったのだが、撃退に失敗してしまった。

原因はいま思うと睡眠不足。
わたしは連続睡眠が5時間しかとれなくて、朝はいつも目覚ましの音を聴かずに起きる。
けれども、ここ数ヶ月それが更に短縮して、3時間ぐらいで睡眠が途切れるのだ。
二度寝するにしても断続的な睡眠だから疲れがとれない。
周囲の人間に話したら、「それって年とったことですよ」と年寄り扱いされるが、たぶんその通りなのだろう。たっぷり10時間ぐらい眠れるひとが本当に羨ましい。
睡眠時間が徐々に減ってゆく自分は、なんだか通話可能時間が少なくなってゆく携帯電話のバッテリーと同じで、消耗品みたいだと思い哀しくなる。

風邪のひき始めにウイルスを撃退できなかった理由は、葛根湯が効かなかったわけではなくて、単純に睡眠が足りず体力の低下をリカバリーできなかったせいだろう。

きょう、何年ぶりかに診療所に行った。
わたしが小学生の頃から何かあるとお世話になっていた実家の近くの診療所で、あれから20年以上経っているのに、驚くべきことに先生を始めほとんどの看護婦さんが当時のままだった。
当然、先生も看護婦さん達もかなりのご高齢だ。
しかし、ここに来るとわたしはただそれだけで安心する。

「眠りが短くて」と先生話すと「職場は変わった?毎日プレッシャー感じてない?」と訊かれた。いつものようにお尻に痛い注射をされるかと思ったら、きょうは点滴だった。
母親より高齢の看護婦さんが、点滴を挿した後、ベッドの上の電気を消してくれたので、カーテンで仕切られたその部屋だけ、薄暗くなった。

仕切りの向こうから診療する先生の声がする。
どうやら健康診断みたいだ。

「お酒はいまでも毎日二合ぐらい飲むの?」
「だいたい昼間ウイスキーを一合、夜は日本酒を二合ぐらいですかね」
「定年前のお仕事は何されてたんですっけ?」
「西武にいました。土建屋ですよ」
「西武のひとはお酒強いのかね?」
「土建屋の連中は強かったですね」
「じゃあ、昔はもっと飲んでたでしょう?」
「そうっすね、わたしも昔は一升は飲めましたね」
「そりゃ、大したもんだ」
「…あの先生、やっぱり酒は控えたほうがいいんですかね?」
「いや、それじゃあ人生の楽しみがなくなっちゃうじゃない。ゆっくり飲んで下さいよ。ゆっくりね」


ぼんやりとそんなやりとりを聴きながら、つくづくこの先生は名医だと思った。

薄暗いの部屋の中で、物干し竿みたいな台からぶら下げられた点滴から、一滴づつこぼれ落ちる透明な液体を眺めていたら、わたしはとても穏やかな気分になっていた。
穏やかすぎて目頭が熱くなった。
点滴はわたしの代わりに泣いている涙のようだと思った。

まずは風邪を治そう。
それから健康になったら、この診療所で先生に健康診断をしてもらおう。
新緑の美しい山並みをバイクで走ろう。

穏やかに
穏やかに
穏やかに

自分をもっと大切にしたい、と思った。

※写真は軍艦島にてタイル張りの柱を写す。軍艦島はモノクロームで伝えられることが多いが、実際にはこの島には素敵な色がたくさんある。わたしは2002年の夏、この軍艦島を目指して埼玉から長崎まで走った。高速道路を一切使わずにひたすら下道を。行きと帰りに3日間づつかけて。ひとり旅のパートナーはHONDAのフォルツァだった。
[PR]
by tabijitaku | 2007-05-21 22:11 | 雑文

中島みゆき「二隻の舟」とマッチ棒

中島みゆきの「二隻の舟」は解釈をいくつくも持った名曲だと思う。
歌詞を2番から抜粋してみる。

お前とわたしはたとえば二隻の舟
暗い海を渡ってゆくひとつひとつの舟
互いの姿は波に隔てられても
同じ歌を歌いながらゆく 二隻の舟
時流を泳ぐ海鳥たちは
むごい摂理をささやくばかり
いつか千切れる絆見たさに
高く高く高く
 
敢えなくわたしが波に砕ける日には
どこかでお前の舟がかすかにきしむだろう
それだけのことで わたしは海をゆけるよ
たとえ舫い綱は切れて 嵐に飲まれても
きこえてくるよ どんな時も
 
お前の悲鳴が胸にきこえてくるよ
超えてゆけと叫ぶ声が ゆく手を照らすよ
 
お前の悲鳴が胸に聞こえてくるよ
超えてゆけと叫ぶ声が ゆく手を照らす

難しいこと望んじゃいない
有り得ないこと望んじゃいないのに






マッチ箱の中から「不良品」が出てきた。
火をつけることはできる。
たぶんそれは2倍の勢いで炎を放つだろう。
では何が問題なのかと言えば、わたしがそれを使う気になれないことで、それはもちろんマッチの製造会社の問題でも「マッチ達」の問題でもないのかもしれない。

「二隻の舟」は、2つの舟の距離間を明確にしていない。
「わたしの舟が波に砕けるときに微かに相手の舟が軋む程度」としか書かれていない。
二隻の舟の正確な距離はわからないが、「ふたり」の間の距離は相手の悲鳴が「耳」ではなく、わたしにとっては「心」で届く距離。
この詩の解釈がわかれるのは、クライマックスのリフレインだろう。
残された最後の数行を紹介したい。



 

風は強く波は高く 闇は深く星も見えない
風は強く波は高く 暗い海は果てるともなく
風の中で波の中で たかが愛は木の葉のように

わたしたちは二隻の舟 ひとつずつの そしてひとつの
わたしたちは二隻の舟 ひとつずつの そしてひとつの
わたしたちは二隻の舟






「わたしたち」は結局のところ、「ひとつづつ」なのか、それとも「ひとつ」なのかは、わからない。
けれども、わたしはその不良品のマッチ棒を見つけたとき、「ああ、二隻の舟だ」と瞬間的に思った。
二隻のマッチ棒は、繋がっていた。

a0048851_20344193.jpg

※言うまでもなく青字部分が中島みゆきの「二隻の舟」の歌詞です。抜粋させて戴きました。
[PR]
by tabijitaku | 2007-05-20 20:53 | 雑文

漢字遊び

a0048851_211209.jpg


漢字がとても素敵に見えた。
[PR]
by tabijitaku | 2007-05-19 02:13 | 写真館

野良の品格

a0048851_2336335.jpg


キミ、いい目してるよ。
[PR]
by tabijitaku | 2007-05-17 23:37 |

マロニエ様!

a0048851_8272423.jpg


知ってる気になってる単語というのがあります。
例えばアンニュイとかアンチョビとか(例えが悪いですが)

さてマロニエって何のことだかご存じですか?
1.わりと有名な伯爵の名前
 例)「マロニエ伯爵!敵軍はもうすぐそこまで迫っております!」
2.「まどろむ」の意味のフランス語
 例)「ハーイ!サクラ君、ボクはきょう1日縁側でマロニエってたよ(ハナワ君風に)
3.よく火が通ってない煮物などのこと
 例)「母さん、このジャガイモ、マロニエじゃないか」
4.西洋トチノキ

正解はこちらへ
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/marronnier.html
[PR]
by tabijitaku | 2007-05-16 08:34 | 写真館


中庭、それは外。でも内側


by tabijitaku

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
例えばこんな文章を書く
例えばこんな写真を撮る
profile
私が私であるための1973枚
私が私であるための1973枚(絵)
ショートストーリー
私の好きな歌
雑文
写真館


Poland
家族の足
懸賞企画

以前の記事

2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 05月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月

検索

ライフログ


シッピング・ニュース 特別版 [DVD]


バーフライ


遠い太鼓


君はおりこう みんな知らないけど


ROADSIDE JAPAN―珍日本紀行 東日本編


TOKYO STYLE


Blue


男はつらいよ 寅次郎春の夢

人気ジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧