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星見台

会話はいつもクロスした。
四人掛けのテーブル。父と母が並んで座り、向かい側に兄とわたしが座る。
母と兄は仲が良かった。兄は妹のわたしから見ても男前で、背も高く、頭も良かったが、高校生になっても、しばしば母とふたりで渋谷へ買い物に行ったりしていた。
「もしかして、お兄ちゃんってマザコン?」
一度、兄に訊いたことがある。妹からのストレートな質問に、兄は笑って答えた。
「そうだよ」と。
「でも、俺は父さんのことも千春のことも大好きだから、正確にいうとファミリーコンプレックス…つまりファミコンかな」
こういうことをさらりと言えてしまうひとが兄だった。
子どもの頃、四つ年下のわたしの手を引いて、よく遊びに連れていってくれた。
兄の同窓生たちにとって、幼いわたしは邪魔者になる。
「おい武弘、オンナなんか連れてくんなよ」
「千春はオレの妹だぞ」
「だって妹は野球できないだろ!」
「バットは振れるよ」
兄はしばしばわたしのせいで同窓生とケンカになった。正直、兄の優しさはときどき重かった。

兄が初めて彼女を自宅に連れてきたのは、わたしが中学二年生のときだったと思う。相手は兄と同じ学校に通う細身の綺麗なひとで由美さんといった。兄に夢中なのが一目見てすぐ分かった。
夕飯を一緒に食べることになった。父は不在だったので、食卓には兄と由美さん、母とわたしの四人が座った。母と兄はいつも通り自分の席に座った。わたしは兄達が並んで座れるように、母の隣に座ろうとした。しかし兄がそれを遮った。
「千春の席はここだろ。由美は母さんの隣に座んなよ」
彼女は結局、父の席に座った。話し上手な母と兄のリードで食卓の会話は盛り上がったけれど、わたしは由美さんの顔色ばかり窺っていた。
「武弘君の家って家族がホントに仲いいのね」
帰り際、由美さんはそう言った。兄と由美さんがその後どうなったかは知らないが、彼女がその後我が家に来ることはなかった。

食卓に家族が揃うと、いつも母と兄の会話が弾むので、わたしは自然と父と話すようになる。正確には父がわたしに話しかけてくる。
「気象委員会ってどんな仕事するんだ?」
「修学旅行は佐渡島に行くんだって?」
「弁論大会のテーマは決まったのか?」
母と兄の会話がテニスのラリーならば、父とわたしの会話はまるで正月の羽根突きのようにのんびりとしていた。
母と息子。父と娘。速度の違う会話が食卓を交差する。
それはわたしが十七歳のときまで続いた。母と兄が同時に死んだ日まで。

あれだけ世間を騒然とさせたあの事件のことを、わたしはいまもきちんと順序立てて話すことができない。
しかし実際は、事実はたった数行の文章で綴ることが可能だった。
自衛隊を脱走した二十代の若者が火炎放射器を持って、新宿の繁華街で凶行に及び、十二人の被害者の中に母と兄がいたのだ。
遺体確認に呼ばれた新宿署で、父は大きな声でわたしに言った。

「千春、見るな!」

わたしは家族を二人失ったことよりも、そのときは初めて聞く父の怒鳴り声のほうが驚きだった。霊安室から漏れ聞こえた父の嗚咽におののいた。
以前、インドを旅した友人がこんな話を聞かせてくれたことがある。インドでは線路脇に脱線した列車がそのまま何年も放置されているという。日本では考えられない話であるが、わたしの中でも、あのとき脱線してしまった何かが残骸となったまま線路脇に残っている。後片付けできないまま、時だけが過ぎた。
わたしはいま二十四歳になる。兄が経験することができなかった社会人になり、あと一年経てば母が父と結婚した年になる。
その間、我が家はずっと父とわたしのふたりきりだった。食卓に二つの空席を残したまま、父とわたしは自分の席を替えずに、斜向かい座り、羽根突きのような会話を続けた。

わたしは来月、転勤で名古屋へ行くことが決まっている。社宅ではあるが、初めてのひとり暮らしだ。転勤先が決まった週末、わたしは父と買い物に出かけた。家具屋へ向かう。
「向こうで買い揃えるからいいよ」と言ったのだけれど、父は「家具はいいものを長く使ったほうがいいから」と言って、わたしより熱心に家具を見て回った。
社会人にもなって父と家具屋に行くのは少々気恥ずかしかったが、結局、箪笥とベッドと本棚を買ってもらった。
会計をしているとき、ふと父が言った。
「ウチのテーブルも買い替えるか」
「…え?」
「いや、千春も家を出るんじゃ、さすがに四人掛けのダイニングテーブルはいらんだろ」
「…そうだね」
わたしは空席の三脚の椅子を想像した。椅子が余っていることが、
椅子を余らせておくことが、何だかとても残酷な気がしたので、父に言った。
「今度は卓袱台にしたら?」
「それもいいかもな」
「一緒に選ぼうよ」

食卓には兄との内緒の想い出があった。大きなテーブルは一枚板で、四本の脚はねじ式のため、取り外しが可能だった。
兄は両親が留守のとき、四本の脚のうち二本を外し、幼い妹に即席のすべり台を作ってくれた。食卓でそんなふうにして遊んでいたことがバレたら、さぞかし父にも母にも叱られたことだろう。
でももう時効だと思って、父にそのことを話した。兄の話を声に出してするのは久しぶりだった。父は笑って、わたしの知らなかったダイニングテーブルの想い出を語ってくれた。
「あのテーブルは母さんが選んだんだ。当時のわたし達にはかなり贅沢な買い物だった。最初父さんは大きすぎるんじゃないか、て言ったんだけど、母さんはこれから家族ができるんだから大きいテーブルが欲しい、と言って聞かなかったんだよ」

母が選んだダイニングテーブルが三十年間の役割を終える。最後の晩餐を済ませた後、廃品回収に出すため、父とわたしで夜のうちにテーブルを庭に運んでおこうと、という話になった。
猫の額ほどの小さな庭に、苦労しながらテーブルを立てかけ、裏返して脚を外す。兄とすべり台ごっこをした記憶が甦ってくる。
脚を二本外したところで父が言った。
「千春、ちょっとテーブルをひっくり返そうか」
「ちょっとお父さん止めてよ、すべり台なんかもうできないわよ」
「いいから、ほらそっち持って」
テーブルは脚を二本外したため、天板が傾いている。
父はその天板に慎重に背中から寄りかかった。
「ほら、千春も隣に」
わたしは父に言われるまま、父の隣に寄り添うように、斜めの天板に身を預けた。肘に触れる天板がひんやりと気持ちよかった。
母の選んだテーブルは頑丈で、大人二人分の体重を二本脚でしっかり支えてくれた。
「…なんか綺麗だよね」
「そうだな」
ふと指先に父の体温を微かに感じた。
「あれ、こういうの何て言うんだっけ?」
「星見台」
「ホシミダイ?」
「星を見る台と書いて星見台だ」
家々の屋根に妨げられたイビツな群青の夜空に、星が瞬いていた。
《終わり》

久しぶりに書いた短編です。
「義妹さんに読ませてあげたらいいよ」と言ってくれたひとがいるので、ブログで公開することにしました。もちろん100%フィクションです。
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by tabijitaku | 2008-06-29 02:19 | ショートストーリー

ココにいます。

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気がつけば、見つめられていました。

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気がついたので、見つめ返しました。

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【401/1973】【402/1973】
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by tabijitaku | 2008-06-25 00:57 | 私が私であるための1973枚

伝染

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気をつけなければ。
不安や苛立ちは伝染する。

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気がつかなければ
言葉にならない不安にも。
言葉と裏腹の苛立ちにも。

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【399/1973】【400/1973】
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by tabijitaku | 2008-06-24 00:10 | 私が私であるための1973枚

旅先ランチ

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旅先で食べたものの中で、何が1番おいしかった?
と訊かれたときの答えは一応、決まっている。

「尾道ラーメン」である。
尾道には何度か行っているが、特に有名店というわけでもなさそうな、駅前のラーメン屋で食べた尾道ラーメン。

他には佐渡島で食べた寿司のウニ、熱海で食べた塩ラーメン、房総半島で食べた鯨の竜田揚げ、仙台で食べた牛タン、北海道の味噌ラーメンなどなど。

だけど、本当の本当は実は違うのである。
秩父のドライブインで食べたウナギがわたしの1番だ。

それは、どう考えてもレトルトのウナギで、お膳にメロンが載ってくるような、ごくごくありふれた鰻重ランチだったけど、これがべらぼうにウマかった。
山歩きを終え空腹で疲れきっていたことで、余計においしく感じられたのだと思う。
ただ旅先の1番がレトルトのウナギと聞いては、質問された方がガッカリするんじゃないかと思い、わたしはクダンの問い掛けに「尾道ラーメン」と答えてしまうのである。

ウナギと言えば浜松だけど、わたしは浜松に出かけたときは鰻を食べていない。
旅先では食べたいものを食べることにしている。
例えばその地の名物料理が蕎麦だったとしても、その日自分が食べたいものがカレーだったならば、迷うことなくcoco壱を探す。

だから、食事付きの民宿や旅館よりも、素泊まりのビジネスホテルが好みで、夜に見知らぬ町を散策して、気が向いた料理屋やときにはファミレスに入る。
ジョリーパスタがあるときラッキーだと思うし、見たいテレビ番組なんかがあるときは、地元のスーパーに行って弁当や総菜を買い込んでホテルで食べることも多い。

わたしにとって「旅先の味」と言いうのは、「忘れられない味」よりもむしろたくさんの「忘れてしまった味」だと思う。
普通のコンビニエンスストアで買った普通のオニギリやメロンパン。
わたしは普段、コンビニの弁当はめったに買わないが、例えば堤防の上や、草原の東屋で食べるコンビニ弁当は本当においしいと思う。

わたしの考えるゼータクとはつまり、そういうことだ。
おしいいものを食べる、というより、おいしくものを食べられている、と思うときが、
旅先ランチの至福の時間である。

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【398/1973】
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by tabijitaku | 2008-06-22 21:59 | 私が私であるための1973枚

金庫に指を挟みました。

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キン肉マンの額に刻まれた「肉」の字が、エネルギーのバロメータだということは、当時この国民的マンガに熱中した世代の少年たちなら、誰でも知っているだろう。
キン肉マンは体力が無くなってくると、まるで水位が下がってゆくように、肉の字が白く変色してゆく。
ウルトラマンのカラータイマーのような警告の合図だ。
ちなみにラーメンマンの額にある「中」の字には、そのような機能はない。

昨夜、わたしは自分の血の気がさーっと引いてゆくのを怖いぐらいに実感した。
きっかけは実に間の抜けた話なのだが、金庫に指を挟んだのである。

金融機関で使われているような耐火金庫で、扉の厚みが10cmぐらいある頑丈な金庫である。
挟んだのは左手の親指で、痛みでしばらく声も出なかった。

すぐに給湯室へ向かい水道の水を当てたが、内出血でみるみる黒ずんでゆく自分の指をみて、やばいな、と思って後輩を1人呼んだ。
駆けつけた後輩はすぐに事態を理解して、氷水を用意してくれた。
氷水に指を入れた瞬間、激痛と鈍痛がサンバを踊り出したような状態になった。

給湯室の騒ぎに気づいた他の社員たちが、次々とやってくる。
誰かが誰かに言う。
「血を抜いたほうがいいか、ネットで調べろ」

このときわたしはもう立っているのが辛くなり、椅子を持ってきてもらった。
この辺から記憶があやふやなのだが、今度は座っていることもできなくなった。
さーっと自分の血の気が薄れていくのがわかった。
「真っ青ですよ」と最初に駆けつけてくれた後輩の声を聞いたのは憶えている。

「横にしろ」と誰かがいい、「足を持て」と誰かが答え、「タオル敷け」と誰かが言って、気がつくと、わたしは天井を見上げていて、年配の社員がわたしの頬に手をあてて、体温を取り戻そうとしていた。
指を挟んだのは左指1本なのだが、両手がグローブになったみたいに、指先の感覚が失われていた。

やがて誰かが電話をしている声が聞こえた。
「はい、急性の貧血だと思います」(ああ、倒れたのか)
「年齢?36歳です」(34歳だよ!)
「えーと、金庫に指挟んだみたいです」(そうなんですよ)
「はい?いや自分で挟んだんです」(…はい)
「いや、だから自分で金庫に指を挟んだんです」(クドイよ)

遠くから救急車のサイレン音が聴こえてきた。
わたしの意識は戻っていたが、救急隊員は慎重だった。
血圧を測られ、正常値に戻ったことを確認すると、救急病院の手配をしてくれた。

救急車には乗らず、後輩にわたしの車を運転してもらった。

骨が折れている自覚症状はなかったので、どうせ診てもらって冷やす以外に方法は無いと思ってはいたのだが、案の定念のためにとったレントゲンに異常はなく、湿布と痛み止めをもらっっただけだった。
時間外の診察ということ、会計ができず、預け金として5000円渡す。

いろいろ世話を焼いてくれた後輩と遅い晩飯を食べ、家まで車で送ってもらい、車のほうは彼にそのまま預けた。きょう届けてくれることになっている。

途中、後でごちゃごちゃ言われるのも嫌だったので、社長に1本電話で報告する。
「そりゃ、飲んだほうがいいな。これから飲むか?」と言われたが、アルコールで痛みを消す方法は、たぶんわたしには効かないので辞退した。
しかし、病院からもらった痛み止めも、まるで効果がない。
そのせいで、昨夜は疲れているのに、なかなか眠れなかった。

怪我したのは左手の親指だけなので何をするのにも、さほど苦労はない。
わたしはパチンコもインベーダーゲームもやらないし、ギタリストでもピアニストでもないので、せいぜい服のボタンを開け閉めするとき、難儀するほどである。

キン肉マンはエネルギーが無くなったとき、にんにくを食べることで復活する。
わたしにとっての「にんにく」はなんなのだろう?と考えている、ずっと。

【397/1973】
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by tabijitaku | 2008-06-21 10:25 | 私が私であるための1973枚(絵)

メッタ打ち

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ウチの社長の口癖は「今度生まれ変わったら社長になんかゼッタイならない」

20代で起業して15年以上黒字の会社経営をやっている社長がそう言うのだから、やっぱり社長なんてなるもんじゃないのだろう。

ときどきもっと楽な生き方があるんだろうな、と思うことが正直ある。
ただ、一方でこの社長に出会ったおかげで、楽な生き方を選ばずにすんだ、という気持ちもある。

「もういっそ殺してくれよ」

最近、社長は冗談まじりによくそう言う。
「死ぬ気で頑張っている人間が、本当に死んだ、て話はあんまり聞いたことがないですね」
わたしがそう言うと「ホントだ。じゃあ、俺もまだ死ねねーな」と言った。

先日、格闘家の桜庭和志が石原裕次郎の「わが人生に悔いはなし」を唄っていた。
本当は自分の引退試合で流したかった曲、と言っていた。

桜庭和志は、その日対戦相手の黒人選手にメッタ打ちにされ、まるでいいところ無く敗れた。

桜庭和志はわたしより3つ年上の37歳。
37歳の男性が、いまもなお大観衆の前でメッタ打ちにされている。
長かろうと短かろうと我が人生に悔いは無い、と唄っている。
痛いと思うから痛いんだよ、と言っている。

そういうのが沁みる年齢に、わたしもなったみたいだ。

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【396/1973】
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by tabijitaku | 2008-06-20 01:32 | 私が私であるための1973枚

猫ドラマその3「お祓い猫」

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「お祓いをご希望ですか?」


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「よろしい。これより神主が祈ります」


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「悪霊よ去れー!」

ちなみに
猫ドラマその1
「通勤猫」
猫ドラマその2
「そうだ、猫さんに聞いてみよう」

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【393/1973】【394/1973】【395/1973】
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by tabijitaku | 2008-06-15 21:28 | 私が私であるための1973枚

まさに道の上を歩いているひとの写真 koneta

He walks on the road.
という言葉から想像する光景はなんですか?

道路の上で歩いているひと
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by tabijitaku | 2008-06-13 08:32 | 私が私であるための1973枚

クロネコヤマトの自転車便

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たくさんの棟ががある東京のとある巨大団地。
ここでクロネコでおなじみのヤマト運輸の配達風景を見かけた。
ドライバーは女性で、運転していたのは自転車だった。
むかし懐かしい紙芝居屋さんか氷屋さんといった感じで、団地の中の狭い道路をすいすいと走っていた。

何かを届けるという仕事はリレーのアンカーみたいだと思う。
バトンに托された思いを運ぶ。

団地生まれの団地育ちのわたしにとって、日本全国どこであろうが、この巨大なコミュニティ空間はノスタルジーを感じずにはいられない。
この小宇宙で、自転車に乗って配達する女性ドライバーを、ふと羨ましく思う。
(階段の上り下りは大変そうだけど)

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【390/1973】【391/1973】
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by tabijitaku | 2008-06-12 07:46 | 私が私であるための1973枚

マジ同感です。

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今年35歳になるわたしは、社内でわりと年上のほうになってきた。
会社には40代も、50代も、60代の方もいらっしゃる。
逆に自分より若い20代もいて、いちばん若い子が24歳。

「ゲームウォッチ」を知らないとか、「8時だよ全員集合!」を見たことがないとか、
そういうことに、いちいちジェネレーションギャップを感じたりすることは、わたしの場合あまりない。

ギャップを感じるのは、「所蔵情報」の差異ではなく、もっと別な部分にある。

例えば20代後半の人間にわたしが勝手に感じる「妙に冷めた人生観」
「それって○○じゃないすか」という言葉の応対。
じゃないすか、はこの場合疑問型ではない。

昨夜は社内で交流会という名の飲み会があり、社長を始め多くのパートさんにも参加してもらい、総勢24名が集まった。
営業のしきりで行われたことが功を奏し、楽しい宴だった。
うっかりテーブルの皿をひっくり返し、背中を食べ物のシミだらけにした子を、自宅まで送り届けた。
わたしはアルコールを飲んでいなかったし、その子を電車に乗せるのが可哀相だったので。
会社で2番目に若いスタッフである。

不思議なもので、「マジっすか」、「それってヤバくないすか?」なんて言葉を日常的に使うこの子が発する言葉は、誰に近いかと言えば45歳の社長である。

アタシ、思うんですけど職場って「愛」が無かったらお終いだと思うんですよ。
だって人と人のふれあいがなかったら、寂しいじゃないっスか?


マジ同感です。
違う人間が集まっているからこそ会社だと思う。

写真の飛行機はたぶんわたしと「同じ年」ぐらいだと言われて貰ったおもちゃである。
プラスチックではなく金属でできているあたりが「70年代」だと思う。
わたしは紛れもなく超合金世代。
あの重さが、リアルだった時代である。

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【389/1973】
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by tabijitaku | 2008-06-11 08:00 | 私が私であるための1973枚


中庭、それは外。でも内側


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