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道端にラオウ

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まぁ、滅多なことじゃ急ブレーキなんかしないんだけど。
バイク旅の利点はいつでもどこでも道端にバイクをちょっと停めて、観光できること。
それでも時速50kmぐらいで走っているわけだから、そうチョクチョクはバイクを停めたりはしない。
ただし、さすがにラオウを素通りにはできなかった。
なんと1/1サイズ。
つまり実寸大。
漫画を読んでいるときはどう考えてもマンモスサイズの馬に乗っている巨人に思えたが、確かに大きいんだけど、たぶんヘビー級のプロレスラー並で、ラオウが実は常識の範疇にある人間サイズだったと考えると、「北斗の拳」がわりと人間味あふれる兄妹喧嘩に思えてもくる。
上の写真ではわかりにくい部分もあると思うので、一応比較対象をこちらに↓

比較対象データ
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by tabijitaku | 2010-05-31 23:03 | 私が私であるための1973枚

安村事件

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その場所をカーナビに入力したら、到着時刻はわずか24分後と出た。
あまりにも近くて、しかしあえて触れようと思わなければ生涯触れることのなかった場所だろう。
きょう、わたしは国立ハンセン病資料館を訪れた。
松本清張の「砂の器」を読んで以来、どこか心の奥底にひっかかっていた感情とようやく迎い合えた気がした。
ハンセン病ではないが、かつてわたしは廃墟となった隔離病棟に足を運んだことがあり、朽ちた藁のベッドや蔦の絡んだ建物になんとも言えぬ感情を抱いた。
「隔離」という言葉の持つ絶望は、わたしには到底理解することはできないだろう。
ただ、冬にアウシュビッツを訪れたとき、高圧電線の流れる柵の向こう側に果てしなく拡がる雪原を目の当たりにして、この柵はなんて残酷なんだろうと思った。それは絶望を柵で囲っているからじゃない。絶望の中になおかつ柵を作っていることが、だ。

以前、どこかで誰かが言っていた話だが、人間が想像できることは人間がいつか実現できることだそうである。その説でいうと、タイムマシーンやどこでもドアもいつか未来で実現できるることになるわけだが、わたしはこの考え方には実は注釈が必要で、いつか実現できる、というより、実現できないことを人間は証明できない、というほうが正しいのではないか、と思っている。
人間が想像できることは、それが実現しないことを人間自身には証明できない。
ポジティブに言い直すと、実現への希望は必ず残されている、ということだ。

だが、絶望という言葉には0.1%の可能性すら否定してしまう、冷たさがある。

ハンセン病の歴史の中で「安村事件」という史実がある。
隔離された入院患者は当初、結婚が許されていなかったという。
しかし、いくつかの条件付きで婚姻が認可されるようになった。
条件とは断種、中絶である。
しかし悲劇は更に加速する。
本人の承諾のない断種手術に反対を唱えたある患者がいた。
彼は病で両足を失っていた。だから両足とも義足だった。
施設の職員がその義足を奪い、彼を夜の山に置き去りにした。
これが安村事件の概要である。

家族と離れて生涯隔離される人生を国に強いられた男性。
その男性が施設を連れ出される。
両足を奪われ、山奥でひとり何を思っただろう?
生き延びる可能性を限りなくゼロにされた状況で、彼は自由を得た。
絶望という名の自由を。

もしかしたら、人間は想像しうる限りの残酷を実行できる生き物なのかもしれない。
人間を知るは怖い。
だが知らないはもっと怖いのではないか?
そう、思うようになった。

資料館を出る後、わたしは手を洗いたくなった。
実際には手は洗わなかったが、洗いたいと思った自分の気持ちだけは隠しようがない。

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by tabijitaku | 2010-05-30 01:08 | 私が私であるための1973枚

黄緑ポストの前で赤面する。

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西尾の町で用事を済ませたわたしは駅に向かった。
駅にはその町の観光案内があったりする。
古い町並みが残る西尾には見るべきスポットが点在していたが、わたしは黄緑色の郵便ポストが気になった。
窓口の女性に場所を尋ねてみると、バイクなら駅から5分とかからないという。早速現地に向かうと、意外とこれが目立たず、あっさり通り過ぎてしまったらしく、カテキン堂で大判焼きを買った際にもう一度場所を尋ねて、お目当ての黄緑色を発見できた。
このポストは実際に使用可能だそうである。

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手元にはカテキン堂で貰ったポストカードがあり、バッグがボールペンがあった。
ハガキを書いてコンビニで切手を買えば、「旅先からの投函」ができる。
「黄緑のポストから投函しました」という一文を添えれば、多少の興味はひけるかもしれない。

大判焼きを食べながら、貰ったばかりのポストカードを見ていたら、蛇口の栓が開いたように唐突に記憶の管から一枚のポストカードが流れ落ちてきた。

あれは軍艦島のある長崎まで関東から片道3日かけて向かった9日間の夏旅行のときのことだ。
わたしは旅先に1泊するごとにある女性にハガキを出した。
その地で買ったポストカードをその地の郵便ポストでその日に投函する。
観光地の長崎や尾道でポストカードを買うのは容易いことだったが、初日の宿をとった四日市は観光地ではなく、工業都市だったのでいきなりポストカードの調達に苦労した。
文具屋をいくつか周り結局、暑中見舞い用のハガキを買った。
わたしが旅先で投函するのと同じように、相手もわたしに毎日ハガキを書いていた。
送り先はわたしの自宅である。
わたしが旅から戻るころには自宅の郵便受けに何枚ものハガキが届いている、それが楽しみだった。
ハガキは実際届いていた。わざわざ買いにいってくれたと思しきポストカードもあった。
ただその中で、わたしの印象に残っている1枚はダイレクトメールだ。
どこからか届いたダイレクトメールの宛先を修正液で雑に消し、その上からわたしの住所と名前を書かれていた。こんなものがよく配達されたものだと感心するぐらい「みにくい」ハガキだった。
手紙は広告の余白に書かれていた。
正確な文章は忘れてしまったが、言わんとしたことはたぶんこんな内容だ。

旅の書簡は旅をしている側にとっては楽しいものだろうし、それを貰う側にとっても突然の便りは意外性があって嬉しくもあるが、動いている君へ動いていないわたしからハガキを書くのはやってみたらけっこうバカバカしいことだと思える。なぜなら旅の道中にある君には毎日発見も感動もあるだろうが、わたしの日常には毎日手紙に書くようなことなど何も無いからだ。


西尾の町で大判焼きを食べながら、あのとき彼女が言っていたことは正しかったな、と思った。
旅先の夜は長い。
旅先の昼下がりは幸福なぐらい時間がゆったりと流れる。
その分、己と対峙する時間も長くなるから、ふと予告もなく物悲しさに襲われることもある。
しかし旅をしながら、どこかで繋がっていたいと思う心細さなど、しょせん簡単に見透かされたのだろう。
恥ずかしいかぎりだ。

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by tabijitaku | 2010-05-29 11:30 | 私が私であるための1973枚

プロペラカフェ

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この飛行機は飾りではない。もちろん模型でもない。
なぜならここは空港だからだ。
そして空港の隣にはカフェがある。
その名もプロペラカフェ。
好きなものの傍で好きなことをする。
好きなものを集めて好きなひとを集める。
人生を楽しむための幸福のスパイラル。
ここではちょっとセレブな感じの紳士が奥さんや子供を連れてきて、目を輝かしている。
すんごくいい感じ。

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by tabijitaku | 2010-05-26 22:18 | 私が私であるための1973枚

「宗教」と「政治」と「戦争」と

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不勉強な人間がブログなんぞで調子に乗って語らないほうがいいと思うものと言えば、「宗教」「政治」そして「戦争」
それをまとまめて件名にしてしまった無知か無謀かはさておき、底の浅い話だと思って読み流して頂ければ幸いである。

子供の頃習った歴史の授業はいつも近代史で尻切れトンボになった。歴史の授業というのはいつも時間をかけるところが決まっていて、縄文時代や弥生時代なんか小学校でも中学校でも高校に行ってまで習うけど、素人考えで誠に恐縮であるが、歴史というのは遡る時間が大きければ大きいほど「不確か」なことが多くなるわけだから、どっちかと言えば歴史的裏付けの揃っている近代史から教えていけばいいと思うのだけど、その近代史の授業はと言えば、これが昭和の前辺りからもうグズグズで、わたしはほとんど飛ばし読みに近い授業しか受けた記憶が無い。20年以上前のあくまで個人的な体験にもとづく話なので、他所様ではちゃんと習ったという方もいらっしゃるかもしれないが…

いい国作ろう鎌倉幕府とか、鳴くよウグイス平安京、を覚えていた時間を歴史を学んでいた、とは言えない気がする。
一方で、日本が戦争に負けた敗戦国だということを、私たちはどれだけちゃんと学んできたのだろうか?
いまの見識から言えば「勝てっこない」戦争に挑み、原爆を2回も落とされて、度重なる空襲で都市を焼け野原にされた日本は、客観的に見て戦争に負けた、というより惨敗した国だ。
そしてその惨敗から勤勉なる国民性と、資源の無い中、知恵と汗を絞って奇跡のV字カーブ成長を遂げた過程を、私はほとんど学校で学んだ記憶が無い。
おかしな話だ。

ゴールデンウィークに奈良を訪れたとき、わたしは天理の町に初めて足を踏み入れた。これまで何度となく近くを通ったことはあるのだが、正直言うと大した知識もないくせに敬遠していた町である。
宗教都市というのは、自分にとって非現実的な空間のように思えた。
ただ巨大建築物には興味があったので、一度は見てみたい町でもあったのだ。
天理教についてわたしは何を語るでもないが、想像していたより街全体がずっとオープンで、自由に見学ができたことは事実として書き記しておく。
妙な勧誘をされるでもなく、多くの信者(というのだろうか?)が思い思いの場所で、1人で何かに向かい合っている感じがした。あとは唱えている言葉がどこか音楽的で、厳かでありながら、閉じているより音や気が抜けてゆく感じがした。
自分の中に特定の神様や信仰が無いことが、ここではむしろわたしを異邦人にさせた。

異論はたぶんあるだろうが、わたしは多くの日本人が平然と口にする「ウチは無宗教だから」というのは、洗脳だと思う。
信仰の力というのは歴史的にも世界的にもやっぱり凄いエネルギーであり、信じて疑わないという姿勢は、よくも悪くもちょっとやそっとでは揺るがない支柱となる。
無宗教を国民のスタンダードな立ち位置にしてしまったことは、これはたぶん戦勝国が敗戦国に対して行った巧妙な「刀狩り」だったのではないか?

とても大きな力によってうまいこと操られている気がする。
「時計仕掛けの日本人」は自国に米軍基地があることを本当の意味で悔しがることができていない。
そもそも惨敗した国なのに、惨めな思いがDNAの中できちんと受け継がれていない。
リメンバーパールハーバーと言われても、忘れる以前に覚えていない。
知らなすぎるのだ。
そして知らないということを知らない。
これほど完璧な敗戦国支配は無かったのではないか。
負けたことを忘れさせ、負けたことから学ばせない。
それを今更学べるのだろうか?

日本を守るためではない。
日本が敗戦国だから米軍の基地があるのではないのか?
いっそ「そのとおりだよ」鼠に言ってもらいたい。

基地移設問題について無謀にも更に続けるなら、「どうせムリだろ」と思っていた大半の人々が「それ見たことか」と言っているだけの気がして、相変わらず政治家もマスコミも話の論点をぼかすことに情熱を注いるように思える。
いっそ国会を沖縄に移せばいいのだ。
政府の要人達が沖縄に移住すれば、国民の視線も世界の注目も途切れることは無い。
「見過ごせない」ことが必ず浮き彫りになってくるだろう。

はい、はい、分かってます。
もちろん、そんなことはできない。
じゃあ、どんなことならできるのか?
総理大臣に騙されと思っているとたぶん誰かさんの思うツボだ。
我々はもっと大きなものに目隠しされ、天動説を信じて疑っていない。
そして祈る神も無ければ、すがる信仰も無い。
この国はどこに行くのだろう?
…とあれこれ考えてみることも、たまに必要だと思ったのでした。

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by tabijitaku | 2010-05-25 23:30 | 私が私であるための1973枚

見守る

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貴重な体験をした。
幼い頃よりプロレスとか格闘技が好きだったわたしにとって、リングに立つファイターというのは特別な存在だった。
そのリングに知り合いが立つ。
これは想像していた以上に凄いことだった。
彼が勝ったことに喜び、彼が怪我しなかったことに安堵し、彼が相手に怪我させなかったことにも安堵し、勝ち名乗りを受ける姿を誇らしく思った。

わたしの隣には一緒に観戦した彼の父と兄がいたが、試合中は彼らのほうを見ることができなかった。
わたしですらこんな心境なのだから、親兄弟の思いはもっと複雑だっただろう。

会場には、ファイターの関係者と思しき方たちがたくさんいた。
父、母、兄弟姉妹、妻、子供、恋人、友人。
彼らの声はクラブハウスのような狭い会場の中でまるでセコンドのように間近に響いた。
わたしはこの日、「見守る」という言葉の意味を初めて知った気がする。
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by tabijitaku | 2010-05-24 07:33 | 私が私であるための1973枚

全部ツケを返そうぜ

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旅先での宿を事前におさえておくことが少ないわたしは、宿泊先を決めるときにまず「街選び」から始める。たいがい名前ぐらいは聞いたことのある地方都市だと、幹線道路沿いに手頃なビジネスホテルが見つけられる。
だから岐阜県の関ヶ原で高速道路のインターを降りたとき、わたしはこの有名な合戦のあった歴史ある街なら、宿はすぐ見つけられると思っていた。
ところが、これがとんだ思惑違いで、辺りは山と田んぼばかりでわたしはとうとうこの地で宿泊先を見つけることができなかった。
バイクを転がし隣町に入ったところで、ようやく一軒の民宿をみつけ、そこで飛び込みの一泊をした。
6年前の話である。
男性がひとりで営む宿で、部屋の案内から、料理の支度まですべて主人ひとりで行っていた。食事は宿の一階が飲み屋みたくなっていて、カウンター越しに客と主人が対面して食べる。
この日は客のほうもわたし一人で、妙な縁を感じながら、わたしは主人の話をずっと聞きながら夕食をつまんだ。
しゃべり好きの男性で「カニが健康にいい」という話だけでだいたい10分ぐらい話が続いた。
実は宿泊客はわたし1人だったが、もしかしたらこの晩、もう一人の来客があった可能性がある。
わたしは翌朝には早々にチェックアウトしてしまったので、「彼」が宿に辿り着いたのかは確認していないのだ。主人が電話口で「彼」に来るようにも何度も繰り返すのをわたしはぼんやりと聞いていた。
「彼」とは自殺志願者である。

どういう経緯で宿の主人がそうした活動を始めたのかは知らぬが、なんでも命のホットラインみたいな電話の窓口をされているらしく、その晩もわたしが夕飯を食べているときに、突然電話がかかってきたのだ。知人ではないことは話しぶりから何となくすぐに分かった。
男性は東尋坊から電話をかけてきていたのだ。東尋坊にはわたしもかつて足を運んだことがあるが、確かに崖の入り口に電話ボックスがあった。

主人は「あなたは死ぬことを思いとどまれたんだから、とにかくこれからウチに来なさい」というようなことをさかんに繰り返していた。
「死ぬな」とか「生きなさい」という言葉は使わなかった。
受話器を置くと、誰にとでもいうのでなく「死ななくてもいいんだよ」と呟いた。
死ななくてもいいと言われた「彼」のその後をわたしは知らない。

「死ねばいいのに」という言葉を最近テレビでよく聞くようになった。
主に口にしているのはいわゆるツッコミ役の芸人さんだが、このドギついフレーズを聞くことで、胸がすくような思いをしているのは、わたしだけだろうか?
たぶん10年前だったら、絶対に茶の間から拒否反応が出たであろう。
しかし、わたしはこの言葉はいまの世相を的確に射抜いた言葉だと思っている。
「死ねばいいのに」は、妙な言い方をすれば「殺してやりたい」から最も遠い感情だと思う。殺してやりたい、には怒りや憎しみなど熱いマグマのような感情が想像できるが、「死ねばいいのに」という言葉には、体温の低さを感じてしまう。
メディアから流れてくる陰惨な事件や戦争のニュースは、穿った見方かもしれないが、ときどき「怒ること」「憤ること」を強要されているような気がする。

この犯人はこんなに悪い人間だから、どうぞみんなで罰しましょう。
いっせいのせ、で憎みましょう。

正義の押し売りされているというか、勝手に怒りボタンを押されているというか、ムリヤリ多数決に参加させられている気になるのは、繰り返すがわたしだけなのだろうか?
だいたい「国民」とか「民意」で一括りにされたくない、というわたしみたいなヒネクレ者の国民性と民意はそもそも最初から無視されているのだろう。

国会裁決の場で転倒して怪我をした女性議員。
不同意堕胎というおそらく日本国民がほとんど知らなかった法律用語を全国に広めてしまった36歳の医師。

ニュースで繰り返されたこの顛末を観て、つくづくテレビというのは下品な残酷ショーだと思った。
女性議員はキャスターにインタビューで吊し上げられシドロモドロし、それをネットの住人たちが喜んでいる。
犯罪の容疑者をテレビに写し、逮捕前の映像を繰り返し流すのはあの宗教法人が行った一連の事件のときと何らかわりない。
不倫相手を勝手に堕胎させ、平然とインタビューに答える医師を見て、この男が内心感じていたであろう恐怖を想像する、というのはただのバーチャルゲームだ。
ああいうのを観て憤ることは断じて正義では無いと思う。

死ねばいいのに。

つい自分の口からその言葉が漏れた。
憤怒や憎悪は、ちょっとした入り口から心の内側に入ってきては、出口を探して身体中をウイルスみたいに駆け巡る。
アカデミー賞を受賞した「クラッシュ」という群集劇の中でサンドラ・ブロッグ演じるセレブな女性は、ある晩夫と一緒に強盗に遭って車を奪われてしまうのだが、彼女は自分の中で蠢いている怒りや不安はその事件が原因ではなく、もっとずっと前からあったものだと、涙の告白をする。
毎朝目を覚ますと、イライラしている自分に気づく、という台詞は身につまされる気がした。
そうなのだ。わたしはここのところ二週間ぐらいずっとイライラしていて、そしてそのイライラしている自分がずっと嫌いだったのだ。

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数日前から、わたしはとても気分がいい。
もちろんあのイライラはもう無い。
何か巡りというのか、気の流れというのか、完全に変わった気がする。
言葉にすると怪しい宗教にでも引っかかっているのではないかと勘ぐられそうだが、何もきっかけはない。きっかけがないこで、余計に気分がいい。誠に脳天気であるが、しばらくは何をやってもうまくイキそうな気がする。
あえて言えば旅先で一匹のトカゲを見たとき、なぜかそれをラッキーだと思ったのだけど、トカゲが幸運を呼ぶ動物だという話は聞いたことがないし、それがたまたま本当だったとしてもその根拠を知りたいとは思わない。
それから旅先で道に迷って(むかしはいまよりずっと道に迷っていた)、おかしなものを見つけた。それは使われなくなったバス停である。
バス停墓場とでもいうのだろうか?
こういう巡り運みたいなものも戻ってきたみたいだ。
わたしはこの光景を見たときに、これはブログに使える、と思ってすぐにそのタイトルも浮かんだ。
「僕はどこに行ったらいいのでしょう?」というのがそれで、だけどいまは気分的にそのタイトルがピンとこない。むしろ「行きたいところに行けばいい」というほうがしっくりくる。

昨日は久しぶりに飲んだ。
その前日には社長室で3時間半、社長の「ご機嫌」に付き合った。
わたしの気の巡りが変わり始めたことに、彼の影響が無いとは言えない。
むしろやっぱり大きいのだろう。
「なぁ、全部ツケを返そうぜ」という彼の提案に私は乗ることにした。
失敗を負い目とはせずに全部ツケで済ますところが、社長らしい。
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by tabijitaku | 2010-05-22 23:34 | 私が私であるための1973枚

愛しのスガキヤ

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旅行先でふいに欲しくなったものを手に入れるのは、ちょっとした街中の宝さがしゲームである。
何年か前、履いていたトレッキングシューズの靴ひもが切れてしまったことがあった。
普段の生活でも滅多にないことで、靴ひもが売っている場所と言われても、当たり前であるが靴屋しか思い浮かばない。これが自分の生活圏内であればワケない話で、あるいは都市圏や大きな国道沿いならチェーン展開の靴屋はたいていあるだろう。
しかし、これが無いところには無いのである。いや、実際はその地で暮らす方々が利用されている靴屋があるのだろうけど、土地勘の無い場所でこれを見つけ出すのは容易ではない。
結局、大阪でイオンの店内でようやく靴ひもを見つけたときは、妙な達成感があった。

連休中、愛知県西尾市を訪れたとき、わたしはジーンズを買いたいと思った。それも急に。
体重を落としたこともあり、自宅にはジャストサイズのジーンズがもう無かったのだが、普段ジーンズを履くこともあまり無いので、仕方なくサイズの合わないジーンズを履いて旅に出てしまった。

旅行から帰ったら買いに行くつもりでいたが、だったら旅行中に買っても同じだと思い直し、西尾に入ってからジーンズショップを探し始めた。
無い。ホントに無い。とことん無い。

やっと、大型ショッピングモールの中でユニクロを見つけた。
ところが、ここで思わぬオマケが付いた。
スガキヤとの初遭遇である。
スガキヤがなぜオマケか?そもそもスガキヤとは何かが分からない方もいらっしゃるだろう。
名古屋地区にお住まいの方にはとってはおなじみのラーメンチェーン店であるが、それ以外の地区にはほとんど出店が無いため、全国区というわけではないお店だ。

埼玉県民にとって「山田うどん」と言えば、知っていて当然のうどんチェーンだが、わたしはこの山田うどんが全国チェーンでなかったことを知ったのはついここ数年のことで、埼玉ローカルを身にしみて感じた。
スガキヤが全国どこにでもあるものだと思っていた、というのはダウンタウンの松っちゃんである。
わたしの勤務先には愛知県豊橋出身のものがおり、彼はスガキヤと聞くだけで目を細める。
わたしがなぜこのスガキヤを知ったかと言えば、ラーメンとアイスクリームを交互に食べるスガキヤの食習慣を特集したテレビ番組を見たからだ。

話は逸れるがわたしは常々、中華屋にこそコーヒーを置くべきだと思っている。
脂っこい中華を食べたあとに、わたしは無性にコーヒーを飲みたくなる。

ラーメンとアイスの組み合わせは未体験であるが、しょっぱいと甘いの交互食感はイケるような気がしないでもなかった。

しかし、実際スガキヤに行ってみると、ラーメンと甘味はあくまで別売りで最初からセットメニューになっているわけではなかった。
店員さんに尋ねてみると、「交互に食べるお客様もいらっしゃいますけど、セットメニューは無いんですよ」と言われた。

だけどせっかくなので、わたしはラーメンと甘味を一緒に注文した。
乳白色のスープからキャプテン翼の翼くんの髪型みたいな「れんげ」が出てきた。
こういうのがたぶん、ノスタルジックのツボなのでは無いだろうか?

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by tabijitaku | 2010-05-14 08:05 | 私が私であるための1973枚

寝転んで撮る。

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その天井を見上げた瞬間、そこに居合わせたすべての人々が同じ声を上げた。
「うわぁ」という声が思わず漏れたのだ。
その後に「すごい」とか「キレイ」というかいう言葉が続くのだが、とにかく最初の一言は思わず、口からこぼれ落ちた感嘆だった。

奈良で一番美しいと思う場所、なんて言うと「奈良通」気取りになってしまうので、わたしが知っている数少ない奈良の中では、明日香村の川原寺はわたしが奈良を訪れるたびに立ち寄りたいと思っている場所である。
そして、今回この川原寺と道を挟んで向かいにある橘寺の存在を知ったことで、ますますこの地はわたしにとって「特別」な場所となった。
川原寺は弘法大使ゆかりの寺であり、橘寺は聖徳太子誕生の地とされている由緒のある寺院らしい。そういう歴史的背景に興味のある方は、予習してから訪れるのも一興だろう。

ゴールデンウィークの奈良県は平城遷都1300年ということで、多くの観光客で賑わっていた。
例えば法隆寺や長谷寺、室生寺の辺りは交通整理が出るぐらいごった返していたが、わたしはというと、そういうところは全てパスした。誠にバチ当たりな発言になるが、交通整理され、駐車料金と拝観料を支払い、行列に並んで訪れたお寺に鎮座される仏様は、親指と人差し指で作った輪っかが円マークに見えてしょうがない。
わたしが今回訪れた川原寺と橘寺はどちらも来訪者はさほど多くは無かったが、歴史が紡ぎ出す厳かな空気と対峙できる静寂があった。

橘寺では、ごく控え目に天井画についての案内書きがあり、そこには「お見逃しになる方が多いのですが、ぜひ天井もご覧になって下さい」と書かれていた。
わたしが係のひとに「撮影していいですか?」と尋ねるとあっさりOKが出た。
すると、その場にいた人々はわたしも含めて、全て同じ行動に出た。
畳に寝そべったのである。そして思わず「うわぁ」という感嘆の声を漏らした。
映画「ぐるりのこと」の中ではこの天井画が印象的なシーンで使われる。
この天井画、日本の寺で実際に見るのはわたしは初めてだったが、寝そべって見上げたときに、大げさに言えばそこに「宇宙」を感じるぐらいのドラマチックな拡がりを感じた。

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「寝転んで見上げる」話から、一転今度は「寝転んで見下ろす」話。
下の写真は埼玉県の深谷駅。
東京駅みたい、と思った方はなかなか鋭い。東京駅建築の際、煉瓦生産の町である深谷にある煉瓦を使用したことにちなみ、深谷駅は東京駅をモチーフにした造りとなっている。

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駅舎の下を線路が走っており、鉄道マニアの姿もチラホラ見かけた。
写真の「彼」はたぶん、鉄道マニアでは無いだろうが、眼下を走る列車を見るとき、寝そべって見ようと思った彼の感覚に、わたしの頬は緩んだ。

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by tabijitaku | 2010-05-09 22:39 | 私が私であるための1973枚

夢に出てきそうな婦警さん

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右みて左みて、はい正面から。
…夢に出てきそうです。(男の子をまっぷたつにしているみたいで)
たぶん、タイ焼きの型作るのと同じ発想なんだろうけど。

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by tabijitaku | 2010-05-07 23:58 | 私が私であるための1973枚


中庭、それは外。でも内側


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