桜の木の下でシマヘビは死ぬ。
雨の週末。
久しぶりに家で過ごしている。
昨夜遅くカーネーションとケーキ屋で買ったプリンを届けに実家に寄ったら、母も、そして父までも不在だった。
合い鍵で部屋に入ったら、年老いた犬だけがいて尻尾を振ってわたしを迎えてくれた。
壁にかけてあるカレンダーを見たら、母は手品教室に通う日で、父にも予定があった。
日曜日のきょうも、ふたりは外出の予定があるようだ。
わたしは自分が食べる分も計算に入れて買ってきたプリンを食べ逃してしまった。
さて、週末の雨は夏を予感させるものではないようだ。
季節をほんの少し逆戻りさせてしまったような寂しい天気。
わたしは今、「Like the Chicks Groovin' in the Wind」というアルバムを聴きながらこのブログを書いている。
これは口笛のアルバム。ユーミンの「やさしさに包まれたら」とボブ・ディランの「風に吹かれて」が収録されているたので購入した。
口笛のゆったりとしたメロディを聴いていると、雨の週末が貴重なインターバルに思えてくる。
ここまで書いて、わたしはようやく本日upする写真を決めた。
最初の写真はゴールデンウィークに長野の山奥で見つけた1本の桜の木。
辺りで花を咲かせているのはこの1本だけだった。
この桜の木の近くで、わたしは1匹のシマヘビに遭遇した。
バイクで走っていると、たまにあることだ。
蛇は道路を横切ろうとしていたようだ。
路肩にバイクを停め、枝を1本拾っておそるおそる近づいてみる。
枝に蛇の身体をひっかけて持ち上げたとき、わたしは初めて蛇が既に死んでいることに気づいた。
ここにいたら車に轢かれてしまうと思ったが既に手遅れだった。
蛇のいた場所に、贓物が遺っていた。
この話はまだ続くが、ここから先は蛇の写真を載せる。
観たくない方、苦手な方はどうぞ素通り下さい。
(ほんと大した話でもないので)
道ばたの側溝に蛇の死体を運ぶ。
水の中に放った際、蛇は一瞬動いたような気がした。
本当に死んでいるんだろうか?
わたしが微かな疑問を持ち始めたときだった。
1匹の黒いハエが飛んできて、蛇の頭に着地した。
それを見て「死んでいる」と思った。
大げさに言えば、ああこれが自然なんだ、とさえ思った。
蛇はハエを食う。
そして死んだ蛇にハエが群がる。
たぶん死には「匂い」があるんだろう。
ハエは人間により遙かに優れた嗅覚で、蛇の死に気づいたんだと思う。
それは何ひとつ感傷の入る隙の無い自然の仕組。
遅咲きの長野の桜が散り、散った花びらは側溝の水の中にも流れていた。
ゆったりとゆったりと流れてくるのを、わたしは辛抱強く待ち続けて、最後の1枚を撮った。
人間は感傷的な生き物だと思う。
これがわたしの撮る写真。
【337/1973】【338/1973】【339/1973】【340/1973】
by tabijitaku
| 2008-05-11 15:24
| 私が私であるための1973枚