2010年 06月 06日 ( 1 )

できないひとができること。

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「2週間ぐらい休ませて頂きます」

床屋の扉にそういう貼り紙がしてあった。
貼った本人はたぶん気付かなかったんだろうけど、これでは誰も床屋が「いつまで」休むかが分からない。「いつから」2週間ぐらいかが貼り紙には書かれていないのだから当然である。

勤務先で取引先に詫び状や通達文を出す際、わたしは必ず校正を頼まれる。
誤字脱字と言ったものは誰にでも、もちろんわたしにもあることでそれは構わないのだが、日本語として文法が破綻しているものや、ひどいものになるとおかしな敬語の乱用で意味不明になっている文章があったりして、わたしにはなぜ彼らが普段声に出して喋っているみたく、普通に文書が書けないのかが不思議でしょうがない。
共通して感じるのは読み手に不親切なことだ。
上の写真、「本日は800円」と書かれてしまうとわたしは「本日は」の「は」の字にまずひっかかる。
じゃあ、昨日はいくらで、明日はいくらになるのだ?
たぶん昨日も明日も、おそらく「いま」も800円なんだろうけど、せめて二重価格にして、いつもより安くしていることをアピールすればいいと思うのだが、この店ではぬいぐるみがいつも時価で売られているのだ。

文章だけではない。
絵にもついても思う。
自慢ではないが、わたしはそこそこ「絵心」があると自負しているので、例えば虎を横向きの姿で描こうと思ったら、横顔に目を2つ描いたりしないし、地面から足が3本宙に浮いているように描いたりしない。
しかし絵心のないひとというのは想像を遥かに凌ぐアングルで描き始める。
知人にもツワモノがいて、虎の絵を描かせたら彼は真上から敷物のように描いた。
お前はそういうアングルで虎を見たことがあるのか?と言いたくなる。
真上から見た虎の顔にはしっかり両目と口とおまけに鼻まであって、どう見ても首が折れているようにしか見えなかった。

喋っているように文章を書き、見たまんま絵を描くことができないひとにはできない。
そしてそれらを苦もなくできてしまうひとには、できないひとの気持ちは底理解できない。

わたしは最近ようやく自覚できたことがあって、自分は水中で2つのことを同時考えることができないのだ。
週に5回はプールで泳いでいる、というと初めての方には「泳ぎウマいんですね?」と早合点され、よく知っているひとには「泳ぎウマくなったでしょう?」と言われる。
申し訳ないが、どちらも違う。
泳ぎは元々ウマくないし、大してウマくもなっていない。
だから続けられるし、続けたいし、続けざるをえないのだ。

わたしはただ長くゆったりと気持ちよく泳げるようになりたいので、泳法もクロールだけでいいし、スピードUPも目指していない。
身体をローリングさせる、軸をぶらさない、息継ぎをするときは真横を向く、腕を伸ばす、肩を回す、足を沈めない、などなどクロールのポイントはいくつもあって、毎回それを頭に入れて泳いではみるのだけど、いざ水中に入ると腕に神経を集中させると、身体がまるでローリングできていないし、今度はローリングを心がけると、息継ぎで水を飲んでしまったりする。
一応、週に1度は可能な限り水泳教室(もちろん初心者向けの)に参加してはいるのだけど、いまの自分は間違いなくおかしな文法の日本語を書き、虎を真上から描いてしまっているのだと思う。
水泳教室の指導員はさすがプロで様々な言葉を駆使して、いろんなアプローチでクロールの極意を語りかけてくれる。それを聞くとなるほど、と頭では理解できた気がするのだが、身体はちっとも思い通りには動いてくれない。
つまり、水中のわたしはまったくもって「できないひと」なのだ。

水泳に限らず、身体を動かすことに関して、わたしは子供の頃からまるでダメで、鉄棒も逆上がりではできたけど大車輪はできなかったし、縄跳びは二重跳びがとうとうできなかった。
運動じゃないけど、フーセンガムも作れない。

話を水泳に戻すと、わたしはいわゆるカナヅチではない。
でもある本に書いてあったのだが、25メートルは泳げるとは言わないそうだ。
それは溺れずに向こう側まで辿りつけるというだけであって、泳げるというのは歩くのと同じように自分の意志で泳ぎ続けていられること、だという。
その意味ではわたしは未だ泳げないひとだ。
できないことができるようになることは容易ではない。
身体を動かすことで言えば、ひとは立つのにも苦労し、歩くことも練習し、そして自転車の補助輪を外すためにさんざん泣きべそをかいてきたのだから、大人になってから何かを克服するというのは、本当はそれぐらい「おおげさ」なことなんだと思う。

正直泳いでいて気持ちいいか?と問われればそんな余裕はまったくない。必死だし、苦しいし、息をゼーゼーさせながらやっている。
だけど、水中で同時に2つ以上のことを考えることができない運動オンチなわたしは、裏を返せば水中ではたった1つのことだけを考えていられる。
腕を伸ばすこととか、肩を回すこととか、何か1つだけを考えて、ただひたらすら向こう岸へ辿りつくためだけにモガくことで、たぶんだけどミリ単位の進歩をしている。
自分の意志でモガきながら、それでも自分にしかわからない充実感を毎日持ち帰ってこられることがいまはけっこう嬉しい。
できないひとができることは、つまりそういうことなんだと身を持って学んでいる。

本日は、25メートル14本。
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by tabijitaku | 2010-06-06 20:09 | 私が私であるための1973枚


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